苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

2019-01-01から1年間の記事一覧

鈴の音がきこえる

何となく眠れなくて、ベッドから這い出した。時計を見ると、23時を少し過ぎたところ。枕元にはまだ何もない。今夜はきっと、世界中の良い子も良くない子もなかなか眠りにつけないだろう。だって今夜は、赤い帽子に真っ白い髭の、あの人が来る夜だから。 リビ…

駅舎にて

ある新月の晩のこと。ある街のターミナル駅の待合室で、若草色のワンピースを着た少女が大きな旅行カバンを脇に置いて、椅子に腰かけている。ラッシュの時間は過ぎたものの、たくさんの乗降客が行き交っており、待合室もほとんどの席が埋まっている。同行者…

Close Encounters of saury

唐の詩人の于武陵(とそれを翻訳した井伏鱒二)は「さよならだけが人生だ」と言っている。人が生きる上で、別れは避けられないものであり、人生の終着点である「死」を迎えた時には、この世界とお別れすることになる。とはいえ、「さよなら」ばかりが人生では…

A Curry Paradise Syndrome

今年は1993年以来の冷夏になると、夏が始まる前に聞いた。だが蓋を開けてみると、殊更暑かった去年と同じぐらいの暑さの日々が続いている。「夏はやっぱりカレー」という風潮もあるが、わたしはこれに断固として反対するものである。暑かろうが、寒かろうが…

夏の魔物

夏の街には魔物が棲んでいる。しかも、深夜の人気のない路地裏に、とかではなく、白昼堂々大手を振って、闊歩している。夜は夜で、息を潜めて忍び寄り、寝ている間に襲われるということもあるので厄介ではあるのだが。 あるロシア人は魔物の姿を見たという。…

The Curry on the Edge of Forever

「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も寝られず」という、ペリーが来航した際の世の慌てぶりを鋭く描写した狂歌がある。さして泰平でない人生でも週の初めは頭がぼんやりしがちだ。そんな頭をたった一杯で覚ますカレーがある。しとしとと雨が降る中を…

台湾彷徨その3

疲れ果てていればぐっすり眠れるだろう、という安易な予想は大きく外れた。相変わらず隣の部屋のシャワー音は大音量で聞こえ、犬は吠え、他の宿泊客の足音や話声は週末ということもあって昨晩よりも大きいくらいだった。 そして迎えた3日目の朝。通常の旅程…

台湾彷徨その2

敗北をビールで流した翌朝。目覚めは決して良いものではなかった。愛すべき四畳半的な部屋は、廊下を人を通ればその音が、隣室がシャワーを使えばその音が、まるで壁などないかのような音量で聞こえてくるのだ。さらに、どういうわけか、深夜に部屋の目の前…

台湾彷徨その1

生来出不精な私であるが、時折遠くへ旅に出たくなることがある。今回の旅もそんな発作的なものの産物であった。 発端は、改元の乱痴気騒ぎが終わり、人々が10連休というはかない夢から覚めた5月中旬にさかのぼる。連休中、ほとんど家から出ずにいた反動から…

月に行った男

たかしへ 父さんは今、月にいます。たかしは信じないかもしれないけど本当に月にいます。死んでしまったことをオブラートに包んで言ってるとかじゃないからな。父さんは生きています。来月には帰ります。 たかしも知っていると思うけれど、月には酸素があり…

Alternative Factor

牛丼屋は殺伐としているべきであると、かつてある人が言った。世の中全体が殺伐としているこの時代に、食事をする時くらいは殺伐から逃れたいと思うのは、贅沢だろうか。そんなことを考えながら、牛丼屋のカウンター席に腰かける。注文は、牛丼ではなく、カ…

ドーナツの穴の行方

穴があったら入りたい。そんな気持ちになることが、誰しも一度はあるはずだ。しかし、そう都合よく穴があいていることなどめったにない。隠れるのに都合がいいかは置くとして、常に穴があいている場所がある。それはドーナツの中心だ。 ちくわやバウムクーヘ…

NGY大学不思議譚④学園祭を歩く幽霊

6月上旬。そろそろ梅雨の足音が聞こえてくる時期であるが、大学内はそわそわしている。それもそのはず、6月の最初の週末にはN大祭が開催されるのだ。もともとは、他の大学と同じく秋の開催となるはずだったのが、第1回の開催直前に伊勢湾台風が上陸し、東…

The Only Meat Thing to Do

カレーに入れるのは牛肉か、豚肉か。この問題については議論が尽きないが、概ね関ヶ原を境に西が牛肉勢力圏、東が豚肉勢力圏とすることができるそうだ。仮に牛肉か豚肉かどちらかしか使ってはいけないというルールを作った日には、「まっぺんやったろみゃあ…

Mr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love Spice

愛知県ではあるが、ほぼ岐阜県と言って差し支えないあたりに住んでいると、三河は未知の世界である。殊に東三河は地の果てであると考えていたほどだ。しかし、人間は楽園を追われて、この世にやってきたのではなかったろうか。つまり、我々が追われた道を逆…

2019: A Spice Odyssey

「カレーは辛え」という駄洒落がある。言えば「季節外れの寒さですね」とか「氷河期にはまだ早いですよ」などのリアクションが返ってくるレベルのものである。しかし、この言い回しは駄洒落であると同時に、事実を端的に言い表したものでもある。つまり、カ…

零れた虹の先に

雨上がりの街に、虹が零れていた。虹は液体ではないし、地面に零れているなんてあり得ないのだけど、零れていた。 恐る恐る近づいてみると、確かにそれは虹だった。そして、零れた虹の先にぼんやりと何かが見える。目を凝らすと、少しずつ視界がはっきりして…