苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

ドーナツの穴の行方

穴があったら入りたい。そんな気持ちになることが、誰しも一度はあるはずだ。しかし、そう都合よく穴があいていることなどめったにない。隠れるのに都合がいいかは置くとして、常に穴があいている場所がある。それはドーナツの中心だ。

ちくわやバウムクーヘンにも穴はあいている。しかし、その穴とドーナツの穴の性質は異なる。ちくわやバウムクーヘンは、製造時に芯となる棒が差し込まれていたことによるものである。しかし、ドーナツには芯となる棒は存在しない。それにも関わらず、穴はあいている。芯が必要ないのであれば、クッキーのように板状にしたり、サーターアンダギーのように球形にしたりしてもよいはずだ。サーターアンダギーをはめこんで、完全体のもさもさした食べ物を作るための穴という説も頭をよぎるが、そもそもヨーロッパと沖縄では距離が遠すぎる。第二次世界大戦後に沖縄に進駐した米軍がドーナツとサーターアンダギーを組み合わせた完全体を考え出し、それが伝播する過程でどちらかが欠落し、ドーナツとサーターアンダギーが誕生したのであれば、不思議ではないが、どちらも第二次世界大戦よりもずっと前から存在している。つまり、ドーナツの穴は何かをはめこむためのものではないのだ。

サンドウィッチマンというコメディアンが提唱する理論によれば「カロリーは中心に集まる性質があるため、ドーナツはカロリーゼロ」となる。しかし、この理論を鵜呑みにすることはできない。何故なら、この理論では中心に集まったカロリーの行方が示されていないからである。仮に中心部にカロリーが残ったままになるとすれば、穴だけを食べればカロリーが摂取できることになる。ところが、現実には穴を食べてもカロリーは摂取できない。穴は穴であり、虚無である。

ならば、中心に集まったカロリーはどこへ消えたのか。ひとつの仮説ではあるが、中心に集ったカロリーは、集積することで熱量を指数関数的に増大させ、最終的には小さなブラックホールのようなものになるのではないか。そのミニ・ブラックホールが完全な円盤状のドーナツの中心部を崩壊させ穴を形成する。つまり、ドーナツの穴はただの虚無ではない。光さえも脱出不可能な完全なる虚無である。

しかし、ドーナツの穴を覗いたとき、反対側を見ることができる。これは何故か。ブラックホールは空間さえも歪める穴である。空間が歪み、別次元(あるいはパラレルワールド)の同じ座標へとつながる穴ができるのである。つまり、ドーナツの穴越しに見る世界は、穴のこちら側とは別の世界である。だが、穴の向こうにも世界は確かに存在している。

そして、ドーナツの穴を覗いたときに、真理をささやく声が、向こうの世界から聞こえるだろう。「ドーナツの穴は生地を均一に加熱するためのものである」と。