苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

新世界まで

終わりの始まりは、とある国の地方都市での肺炎の流行だった。

風邪や季節性のインフルエンザが流行するにはまだ早い9月の下旬、その都市では、原因不明の蕁麻疹が流行し、100人近くが亡くなった。この異常事態に政府は調査を開始し、この蕁麻疹が未知のウィルスによるものであることを突き止め、その都市を封鎖した。しかし、調査に時間を要したこともあり、すでに市中に感染者は溢れていた。さらに悪いことに、その都市には大きな国際空港があり、肺炎は市内や国内のみならず、全世界へ広まっている可能性があった。そして、可能性では済まなかったことは、都市封鎖から1週間後に明らかとなった。世界各地で、蕁麻疹の症状を訴える者が医療機関に殺到した。当初は医療機関も機能していたが、医療関係者にも感染が広がると、徐々に機能不全に陥っていき、多数の死者が出ている国もあった。各地の都市は封鎖され、経済は停滞しはじめ、今世紀最大の混乱と言っても過言ではない状況だ。経済の停滞を打開するには戦争しかないと主張する政治家もいるそうで、非常にきな臭い、嫌な状況だ。

そんな世界の状況を尻目に、僕の住む街は平和だった。日本の、島国という立地がプラスに働いて、日本ではさほど多くの感染者が出ていなかった。空港での検疫、そして隔離が適切に行われた結果だ。もっとも、本当はすでに蔓延していて、政府がそれを隠蔽しているだけという声も聞かれるが、少なくとも僕が生活を送る範囲では、そんなこともなさそうだ。とはいえ、完全に平穏とも言い難いこともあった。各国が都市封鎖に踏み切ったことで、輸出入が止まり、トイレットペーパーがなくなるというデマが流れ、ドラッグストアやスーパーに人が殺到したとか、バナナを食べると感染しないという噂が流れて、バナナの買い占めが起こったり、世界で起こっている混乱に比べたら、平穏といえるものの、心にさざなみを起こすような出来事はいくつも起こっていた。はじめは傍観していたものの、だんだん傍観していることにも疲れてしまって、最近では、ニュースやSNSを見るのをやめて、ただ自宅と職場を往復するだけの生活を送っている。

ある日曜日、珍しく母親から電話がかかってきた。こんなご時世だし、息子が心配になったのだろうか。

「いよいよ始まってまう!あんたもはよ逃げなかんよ!」

母は開口一番、そんなことを言った。なんのことかわからず口篭っていると、

「あんたどこにおるの?はぁ?家?!テレビ見とらんの?はよテレビつけやあて。」

言われるがままにテレビをつける。母親が言っているニュースはどのチャンネルでやっているだろうか。そんな心配を一瞬してみたが、無駄な心配であったことはすぐにわかった。どのチャンネルも同じニュースを流している。ニュースによると、世界各国の国境に軍隊が集結し、にらみ合いの状況が続いていて、今日の11時に政府から重大な発表があるとのこと。この発表は世界各国で、それぞれの政府から、同時刻に行われ、世界の状況を考えると、疫病が最初に発生した国への宣戦布告であると思われること。そしてそれはすなわち第3次世界大戦の始まりであり、開戦と同時に世界中が核の炎で焼き尽くされること。そんなニュースを延々とやっていて、どのチャンネルもお通夜みたいな雰囲気だった。時計を見ると、10時30分。あと30分。30分で世界が滅んでしまう。

「あんた昔からとろくさいで、はよ逃げなかんよ。落ち着いたら帰っておい…」

途中で電話は切れた。電波状態が良くないようだ。それにしても、この非常時だというのに、一方的に話したいことを話す母の相変わらずさに思わず笑ってしまうが、笑っている場合ではない。あと30分で世界は滅ぶ。逃げなくては。でもどこへ?避難場所になっている近所の体育館だって、核攻撃を受けたらきっと吹き飛んでしまう。どうしよう。そもそも何を持っていったらいいんだろうか?そんなことをぐるぐるぐるぐると考えながら、避難する準備を終え、とりあえず体育館まで行こうと、家を出たのは10時55分を過ぎたところだった。ニュースによれば、宣戦布告と同時に、核攻撃が行われ、それに対する報復、さらにそれに対する報復、さらに報復、報復、報復…その結果、世界中が灰燼に帰すとのことだった。急がなくては。どれほど効果があるかわからないけれど、ひとまず避難場所に行かなくては。慌てて駆け出そうとすると、足がもつれて転んでしまった。昔からとろくさい自分をこれほど恨んだことがあったろうか。

起き上がって、荷物を拾う。焦ったところで仕方がないのだ。この際だからゆっくり行こう。転んだ拍子に頭でも打ったのだろうか。あれだけごちゃごちゃにこんがらがっていた頭の中が、妙にすっきりして落ち着いていた。人の気配が消えて、静かになった街を歩いていると、サイレンが聞こえた。国民保護サイレン。世界の終末を告げる角笛の音。相互確証破壊による核戦争の幕開け。ああ、終わる。世界が終わる。焼き尽くす炎が降ってくるであろう空を見上げて、目を瞑る。これで、おしまいだ。

しばらく目を瞑っていたものの、何も起こらない。宣戦布告はされなかったのだろうか。核戦争は?世界の終わりは?さっきすっきりした頭が、またこんがらがってきて、目眩がする。とりあえず、避難場所まで行ってみよう。

体育館にたどり着くと、なぜかお祭り騒ぎになっていた。世界が終わるから、みんな気が狂ってしまったのだろうか。それにしても何故みんな口々に「平和万歳!世界万歳!」と言っているのだろうか。人の輪から少し離れて、涙を浮かべながらそれを眺めているおじさんに、何の騒ぎか尋ねる。

「あんたテレビ見とらんのか?あっちにあるからはよ見てこやあ」

一日に二回も同じことを言われるとは。言われるがまま、テレビのある方へ行く。さぞ悲惨なニュースが流れているのだろうと思っていたのだが、さっきはお通夜みたいな雰囲気でニュースを読んでいたキャスターが、満面の笑みで何かしゃべっていた。お祭り騒ぎの人々の声でかき消されてよく聞き取れないので、スピーカーに耳を近付ける。

「疫病という世界の苦難の前には、人種も宗教も、国籍すら関係ない。苦難の中にあってこそ、手を取り合わなければならない。そのためにまず世界中の軍隊が武装を放棄するという合意がなされた。手を取り合うのに、武器は不要である。この合意はこの瞬間より発効し、未来永劫継続する。いまこそ世界はひとつになる時なのだ。」

ということを総理大臣が話していた。そして世界中の国境でにらみ合っていた軍隊が、武器を投げ捨て、抱き合っている映像も繰り返し流れていた。ゆくゆくは各国の政府を統合した世界政府が立ち上がって、疫病への対策を世界規模ですすめるらしい。疫病が流行っているのに抱き合うのは、あんまり良くないのでは、と考えながらも、目からは涙が溢れていた。

苦難を前にして、奪い合うのでは助け合う。そんな大きな一歩を世界が踏み出したのだ。決して易しい道ではないし、途中で絶えてしまうかもしれない。だが、この道は続いているのだ。新世界まで。