苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

日本におけるクリスマスの起源

恋人たちのイベントとしてすっかり定着した感のあるクリスマスですが、ここまで広まった背景には日本で古く(室町時代)から信仰されている神様がいることをご存知でしょうか。
その神様は「邇古蕾天(にこらてん)」と言います。もともとキリスト教の聖人であった聖ニコラウスがロシアからインドに入り、仏教に帰依し、それが中国経由で日本に伝わり、神道の神様となったものです。邇古蕾天は白髪に真っ白で豊かな髭を生やし、煩悩を食らう7頭の犬が引くソリに乗った姿で描かれます。
邇古蕾天は商売繁盛と子孫繁栄の神様で、主として商家の人々に信仰されてきました。毎年、一年で最も昼が短くなる冬至の日の夜に邇古蕾天が北方からやってきて、人々に福を配って回ると信じられていたため、冬至の夜には祭りが開かれました。そこでは飾り餅(餅の上に南天の実などを乗せ飾り付けたもの)や鶏肉が振る舞われます。飾り餅は邇古蕾天の豊かな髭を表したもので、鶏肉は邇古蕾天が乗るソリを引く犬へのお供え物で、犬橇に乗った邇古蕾天(=福)が少しでも長く自分のところに留まるようにという願いが込められています(店の軒先に盛り塩をするのと同じような理由です。)。当初は猪や鹿などの肉が振る舞われていましたが、江戸時代に入り、獣の肉を口にすることが禁じられるようになると、鶏の肉が備えられるようになりました(鳥の肉を食べるのは禁じられていなかったため。余談ですが、ウサギを一羽二羽と数えるのは、江戸時代にウサギを鳥だと言い張って食べていたからだと言われています。)。
このようにサンタクロースとルーツを同じくする神様が日本にはいたのですが、明治時代に入り、西洋の文化が流入するようになると、西洋のクリスマスと邇古蕾天の祭りは再統合されていきます。その際に、鶏肉を供える(食べる)という部分はそのまま残りましたが、飾り餅は西洋からやってきたケーキに置き換えられました。こうして、現在の日本におけるクリスマスの原型が出来上がりました。その後、経済が発展すると、邇古蕾祭り(=クリスマス)が商機として考えた肉屋や菓子屋が鶏肉とケーキを食べるという風習を人々に広めていき、さらにそれに様々な業界が年末商戦と絡めて便乗することで、今のようなクリスマスが形作られていきます。途中、大正天皇崩御などで、中止されたこともありますが、クリスマスはじわりじわりと広まっていきます。1980年代に入ると、若者向け雑誌がこぞってクリスマスを取り上げ、さらには鉄道会社が「クリスマス・エクスプレス」というCMを流したことで、当時の世相とも相まってクリスマスは一気に恋人たちのイベントとして認識されるようになり、現在のクリスマス像が完成します。
このようにしてクリスマスは人々に広まっていったわけですので、皆様も来年のクリスマスは少し古風に飾り餅と鶏肉で邇古蕾祭りを祝ってみてはいかがでしょうか。