苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

The Other Side of the Curry

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「十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」

スタンリー・キューブリック監督が映画化した『2001年宇宙の旅』の原作者であり、SF界のビッグ・スリーとも呼ばれる、アーサー・C・クラークが『未来のプロフィル』の中で言及した「クラークの三法則」のひとつである。かつて不治の病とされた病気が、現代医学であっさり治ってしまったり、遠くに離れている人と文字や音声で即時に会話できたり、過去に生きた人から見れば、現代は魔法のような事物に満ちた時代であると言えよう。

食べ物についても、同じことが言える。かつては同質量の金と取り引きされたという胡椒が、いまや簡単に手に入る。海の向こうで栽培されている、見たこともないようなスパイスが簡単に手に入る。まるで魔法でも使っているかのようである。

しかし、魔法とはたったそれだけのものだろうか。電車に揺られて、徒歩では丸一日かかるであろう距離をあっと言う間に飛び越えた先の駅で、そんなことを考えながら歩き、その店にたどり着いた。科学技術という名の魔法の結晶、カレーの店だ。

入店してカウンターに腰掛けてメニューを眺める。カレーは2種類、ただしうち1種類は2度目の来店からしか頼めないシステムになっている。初めての訪れた店であったので、選択の余地はなく、キーマカレーにゆで卵をトッピングしたものを頼む。

しばらくするとグレープフルーツジュースが運ばれてくる。しかし、すぐに飲んではいけない。カレーが届くまで待つ必要があるのだ。これはウェルカムドリンクではない。

グレープフルーツの酸味を想像して、涎がじわりじわりと口の中を満たしていくのを堪えていると、カレーが運ばれてくる。スパイスの海にぽっかりと浮かぶライスの島、その島の中心には玉ねぎの山があり、頂きにはししとうが鎮座している。スパイスの海の混沌から、ししとうという秩序へ。皿の上に出現した小さな宇宙。これも魔法だろうか。

眺めてばかりもいられないので、右手にスプーンを持つ。そして左手には、ししとうを。これがこの店の流儀である。曰く、ししとうの苦味がスパイスの香りを際立たせるとともに、カレーの味わいを深める。そして、先にやってきたグレープフルーツジュースは、酸味と甘味をカレーに加えるとともに、口の中をリセットする役目がある。

まずししとうをかじり、口の中を苦味で満たす。そして、カレーを口に運ぶ。さらりとした水のようなソース。本当に味がするのだろうかと不安になるような透明感。しかし、スパイスの海である。幾重にも重なった香りが、辛味が、口の中を縦横無尽に駆け巡る。その奔流にもて遊ばれながら、グレープフルーツジュースを口をつける。苦味が一瞬スパイスを立たせるが、直後に酸味と甘味が奔流を鎮める。ここに至って、スパイスの海は、荒れ狂う海から、凪いだ豊穣の海へと姿を変えるのだ。

ししとう、カレー、グレープフルーツジュースの三角形を何度も辿る。その度に、海は荒れ狂い、凪ぐ。こうして世界は作られてきたのだろう。何度も、何度も辿る。やがて皿の上の世界は無くなり、口の中に凪いだ海だけが残っていた。世界の誕生から終わりまでを、距離も時間も超越して、あっと言う間に体験する。これこそ魔法であろう。カレーが魔法の結晶なのではない、カレーこそ魔法そのものなのだ。

会計を済ませて店をドアを開けると、店員さんが満面の笑みを浮かべてこう言った。

「またししとうかじりにきてくださいね。」

前言を撤回する。カレーは魔法などではない。再現可能性という点で、紛れもなく科学技術である。