苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

Crocodile Dandyism

f:id:tnkponpoko:20200319215712j:image

 

学生時代、指導教官に「頑張らないというのが君なりのダンディズムなんだろうね」と言われたことがある。当時の私は、今以上に怠惰な人間で、その言葉の真意を理解しようとすることさえ面倒がる人間だった。あれから10年以上経ってわかったのは、自分自身に「努力をする」という才能が決定的に欠けているということだ。そして仮に努力していたとしても、さも努力していないかのように振る舞ってしまう。まさしく指摘されたとおりの、頑張らないというダンディズムに従って生きている。この重大な欠陥を抱えたままどう生きるべきか。そんなことを思い悩んでいると、無性に腹が減る。そうでなくても腹は減るのだけれど。この空腹は何で満たすべきか。カレーの外にはないだろう。

カレー屋さんのドアをくぐると、スパイスの香りが充満している。この時点で大概の悩みごとの8割くらいは消えてなくなってしまうのであるが、今回抱えた悩みの大きさを考えると、もっと強力な刺激が必要である。メニューに目をやると、週替りカレーは辛口のクロコダイルのビンダルー、さらにクロコダイル手羽先のトッピングができるとのことで、迷わずオーダーする。ワニの大きな口に悩みを全て放り込んで、噛み砕かせてしまえばいいのだ。

しばらくするとカレーが運ばれてくる。炙ったワニ肉の香ばしい香りとスパイスの香りが混ざり合って、これ以上ないほどに食欲をそそる。カレーの上にはクロコダイルの手羽先が凄まじい存在感を放って鎮座している。かつてこんなカレーがあっただろうか。

まずはカレーをひと口。辛さが脳天を揺さぶりながら突き抜ける。さすがに辛口だ。ただ、唐辛子の辛さだけではないので、辛さが心地良い。具材のワニのタンも食感のアクセントになって面白い。クロコダイルという変化球な食材を使いつつも、カレーとしては期待を裏切らない高いレベルを叩き出してくるのは流石だ。ぐわんぐわん脳天を揺さぶられながら、カレーを食べすすめる。視界には常にクロコダイルの手羽がチラついている。いや、チラつくというレベルの存在感ではないのだが。

カレーをあらかた食べ終わり、いよいよクロコダイルに取りかかる。ワニと握手するという奇妙な体験をしながら、二の腕にかぶりつく。クセのある味を予想したが、あっさりとしている。食感は鶏のモモ肉に近いが、さらに弾力があって、噛み切るのに力がいる。表面に振りかけられたスパイスと相まって、これまでワニを食べてこなかったことを後悔するほどにおいしい。二の腕を食べ終えると、次は革に覆われた前腕。革をどうすべきか少し悩むが、触れるとすぐに剥がれたので、ささっと剥がしてかぶりつく。スパイスがかかっていないので、ワニ肉本来の味が楽しめる。スパイスなしでは少し生臭さを感じるので、臭みを消して食感を活かす、カレーという調理法はワニにぴったりである。ワニを平らげて、皿に残ったカレーも残さず食べる。あっという間に、というにはいささか時間をかけて、完食。たっぷりワニ肉を食べたので、満足感はいつも以上だ。

お腹を満たして店を出ると、抱えていた悩みはどこかへ去ってしまっていた。根本的な解決にはなっていないことは重々承知である。だが思い悩んで、腹を空かせたまま生き続ける訳にもいかない。死はいつ訪れるかわからないのである。この瞬間を切り取ったコマの外に「死まであと1日」と書かれているかもしれないのだ。ならばどう生きるべきか。新たな悩みが生まれそうになったところで、ワニのように大きな口を開けてあくびをした。春の日差しの下では、眠気が押し寄せて、思い悩むのに向いていない。もう少し悩むのに適した時期が来るまで、一旦この悩みは沼にでも沈めておこう。そう思って踏み出す一歩は、ワニのようながに股だった。