苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

The Curry Fountains of Paradise


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「目には青葉山ほととぎす初鰹」と詠んだのは、江戸時代の俳人、山口素堂である。鰹といえば、初夏の魚で、特に初鰹といえば人々の憧れの的であった。
早足で過ぎる季節にすっかり疲弊してしまった金曜の昼休み、癒やしと刺激を求めて駆け込んだカレー屋のメニューには、鰹のだしカレーがあった。初夏というには早すぎる時期ではあるが、季節の足の速さを考えると、ちょっとくらいフライングしても問題はないだろう。
注文してしばらくすると、カレーが運ばれてくる。キーマカレーをトッピングした鰹のだしカレー。
たまごの切り口から黄身がとろりと流れ出す様は、深い山にやっと訪れた春が、雪を溶かし、麓へ、そして海へと流していくところを彷彿とさせる。たどり着いた海には鰹が待っている。スパイスの海を縦横無尽に泳ぎ回る鰹だ。その海をスプーンで掬って、ひと口。凪いでいるように見えるが、とても荒々しい海だ。鰹の旨味とスパイスの調和などというものは存在しない。両者ともに、一歩も譲らない自己主張を繰り広げている。その争いが、その争いこそが、このカレーの楽しみである。「争いは憎しみしか生まない」というが、このカレーに限っていえば、争いによって生まれるのは、憎しみというどす黒い感情ではなく、生命の躍動だ。つまり、このカレーは命が満ち満ちた荒ぶる海なのである。
ひと口ごとに生命の躍動を感じながら、食べていると、皿はあっという間に空になった。それと同時に、店に入るまで感じていた疲弊感が、幾分解消されていた。「初物を食べると寿命が75日伸びる」という言い伝えは、あながち間違いではないのかもしれない。そんな気持ちを抱きながら店を出ると、春の日差しが歩道を満たしていた。そこへ足を浸して、思い出した。先週鰹を食べたので、今日の鰹ははつもではないことを。鰯の頭も信心から。知らぬが仏。