苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

鈴の音がきこえる

何となく眠れなくて、ベッドから這い出した。時計を見ると、23時を少し過ぎたところ。枕元にはまだ何もない。今夜はきっと、世界中の良い子も良くない子もなかなか眠りにつけないだろう。だって今夜は、赤い帽子に真っ白い髭の、あの人が来る夜だから。

リビングにおりてみる。電気が消えて真っ暗で、いつもとは雰囲気が違う。それに、恐ろしいくらいに静かだ。まるで、世界が滅びてしまったような。

そんなことを考えていたら、とても怖くなって、カーテンを少しだけ開けて、外を見る。

「わぁ…すごい。」

いつだったか、ママがキッチンでお砂糖の瓶をひっくり返して床が真っ白になったことがある。今目の前にあるのは、それと同じ、いやもっともっとたくさんのお砂糖の瓶をひっくり返したみたいな景色だ。今日の塾の帰り道、パパの車のステレオから「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう」っていう歌が流れていたけれど、本当にそうなった。

窓を開けて、真っ白になった庭へ出る。サンダルの隙間から雪が入ってきて、ひんやりする。そこらじゅうに足跡をつけてまわっていると、どこからか鈴の音がきこえた。はじめは微かな音だったのに、だんだん近づいてくる。そしていつの間にか、すぐ後ろに。振り返ると、そこには赤い帽子に真っ白い髭のあの人、サンタクロースが立っていた。

「ホー!ホー!ホー!メリークリスマス!」

と、お決まりの挨拶。夢でも見ているのだろうか。ほっぺをつねってみる。痛い。それに雪で冷えた足もじんじんと痛くなってきている。

「ほ、本物のサンタクロースなの?」

恐る恐る尋ねてみる。

「もちろん本物じゃよ。今夜は良い子にプレゼントを配っておる。こんな時間に外にいるのは悪い子かな?」

サンタクロースは真っ白なあご髭を手でさすりながらそう言った。

「世界中の子どもにプレゼントを配るんだったら、こんなところでおしゃべりしてていいの?僕の小学校だけでも100人以上は子どもがいるよ?」

サンタクロースはにやりと笑う。

「いい質問じゃな。こんなところでおしゃべりしておっても、何の問題もない。なぜならわしは、どこにでもおるし、どこにもおらん存在じゃからな。」

「どこにでもいて、どこにもいない存在…?」

「きみにはまだちょっと難しかったかの。わかりやすく言えば、幽霊とか妖怪みたいなもんじゃ。妖怪ならきみも知っているだろう?」

小学校に入る少し前、ちょっとした妖怪ブームがあって、時計型のおもちゃとか、メダルとかをクリスマスプレゼントにもらったことがあったっけ。

「ようかい体操をしていた頃のきみは、ずいぶんと可愛らしかったなぁ。」

遠い目をしながら、サンタクロースは呟く。ようかい体操をしていたの、家の中だけなのに、いつ、どこで見ていたんだろうか。

「おじさんは本物のサンタクロースだって言うけど、僕、本当は知ってるんだ。クリスマスにプレゼントを置いていくのはパパなんだよ。去年のクリスマスに、僕見たんだ。」

サンタクロースは「ほっほっほ」と笑う。

「それは、わしがきみのパパの姿になっていたに過ぎんよ。きみのパパがわしになっていたと言うのが正しいかもしれんが。」

そういうや否や、サンタクロースの顔がだんだんパパの顔になっていく。完全にパパの顔になった瞬間、背筋がぞくりと凍る。寒いからだ。きっと寒いからだ、と自分に言い聞かせる。パパの顔になったサンタクロースは優しい笑みを浮かべ、その次の瞬間にはサンタクロースの顔に戻る。一体、何がどうなっているのか。

「ほっほっほ。これでわかったろう?わしはどこにでもおるし、どこにもおらん。サンタクロースであるし、他の誰でもある。」

「なんだかよくわからないや。」

サンタクロースは僕の頭にポンと手を置き、

「いずれわかるさ。きみもいつかきっと、誰かにとってのサンタクロースになる日がくるだろうから。」

そんな日がくるのだろうか。サンタクロースはじっと僕の目を見つめて頷いている。

「さて、長居をしていると大人たちが起きてくるかもしれんから、そろそろ帰るよ。今夜、遅くまで起きていたことは見なかったことにするから、来年のクリスマスまで良い子にしておるんじゃぞ。」

そう言うとサンタクロースはピューッと指笛を吹く。すると、どこからからソリを曳いたトナカイがやってくる。サンタクロースがソリに乗り込み、「ホー!ホー!ホー!」と言うと、ソリは静かに動きだし、空へと浮かび上がっていく。僕はサンタクロースの姿が見えなくなるまで、ずっと空を見つめていた。

リビングに戻り、窓を閉める。今のできごとはなんだったのだろうか。頭の中がぐちゃぐちゃして、ぼんやりする。とりあえず、身体を温めるために、ベッドに戻る。布団の中は電気毛布でポカポカだ。そのポカポカが身体に移ってくるにつれて、意識がだんだんと遠のいていく。

気がつくと、朝だった。枕元には、プレゼントの箱が置いてある。いつの間にか眠ってしまって、その間にパパが置いたのだろう。

着替えて、眠い目をこすりながらリビングにおりる。パパもママも起きていて、朝ごはんを食べている。僕たちは冬休みだけど、大人たちの冬休みはまだ先らしい。

「僕、昨日の夜、サンタさんに会ったよ。」

二人に向かって言う。いつもならママに「夢でも見てたのよ」と言われて、相手にされないところだけど、今日は違った。

「ママも昔、会ったことがあるのよ。」

「パパもだ。なんだか難しいことを言っていたっけ。まあ、サンタさんに会えるっていうことは、良い子にしてたってことだろう。プレゼントはもらえたのかい?」

枕元から持ってきた箱を頭の上に掲げて、僕は「うん!」と頷く。

それから、パパが僕の分の朝ごはんも用意してくれて、三人で食べる。プレゼントがどんなに嬉しかったかをしゃべりながら。僕が喜んでいるのを見るパパもママも、嬉しそうだった。

僕の街はすっかり朝になってしまったけれど、世界のどこかでは、まだ昨日の夜で、サンタクロースはまだ良い子たちにプレゼントを配ってまわっているのだろう。耳を澄ますと、ずっとずっと遠くに、微かな鈴の音がきこえる。