苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

NGY大学不思議譚④学園祭を歩く幽霊

6月上旬。そろそろ梅雨の足音が聞こえてくる時期であるが、大学内はそわそわしている。それもそのはず、6月の最初の週末にはN大祭が開催されるのだ。もともとは、他の大学と同じく秋の開催となるはずだったのが、第1回の開催直前に伊勢湾台風が上陸し、東海エリアに甚大な被害が出たことから、翌年の6月に延期となり、以降もこれにならって6月開催となったそうだ。

NGY大学に入学した学生は最初のN大祭で、仮装して名古屋の繁華街を練り歩くという試練を課される。それも基本的には全員参加である。かくいう私も1年生の時には馬のお面を被って参加したのだが、沿道の人たちから向けられた可哀想なものを見る目が忘れられない。

多くの学生にとって、そんな苦い思い出から始まるN大祭であるが、部活動やサークルに参加している学生にとっては、模擬店を出店して活動資金を稼ぐという重要な場となる。中には販売ノルマを設定されるところもあるようで、私の数少ない友人である花田さんが所属するフィーエルヤッペン同好会もそんなサークルのひとつである。

学園祭の前夜祭が開催される日、図書館で「カブトムシ相撲」のオフィシャルルールについて調べるべく、『昔の遊び図鑑』なるものを広げて閲覧席で読んでいると、花田さんがやってきた。

「N大祭、来るよね?うちの同好会でオランダ風フライドポテト売るんだけど、前売り券買わない?買うよね?なんなら5枚くらい買うよね?」

凄まじい勢いの押し売りを受けて、「えー」とか「うー」とか言っていると、

「仕方ない、2枚で手を打ってあげよう。500円ね。」

と畳みかけるように言われる。もはや断る余地はない。財布から500円を渋々取り出して花田さんに渡す。

「毎度あり。前売り特典で当日10%増量するからね。いやー、いい買い物したね。」

さも当然というような表情で受け取る花田さん。10%って、誤差の範囲に収まるくらいじゃないだろうか。なんだか悔しかったので、他の人を巻き込むことにした。

「そういえば、二菱くんがフライドポテト食べたそうな顔してたから、前売り券買ってくれると思うよ。」

二菱くんは同じ講義を受けている工学部の学生で、日ごろから花田さんのことを「天使だ」とか「女神だ」とか言って褒めそやしているいる。二菱くんは花田さんに会える、花田さんは前売り券を捌ける、そして私のむしゃくしゃした気持ちも晴れる、まさに「三方よし」な提案で、我ながら感心してしまう。

案の定、花田さんは目を輝かせて、二菱くんを探しにどこかへ走っていった。これで落ち着いてカブトムシ相撲のルールが調べられると思った矢先、今度は常磐くんがやってきた。そしてニヤニヤした笑みを浮かべながら、こう切り出した。

「何年か前にN大祭で食中毒が出たの覚えてる?」

当時小学生だったと思うが、名古屋ローカルの朝の情報番組で大々的に報じられたので覚えている。

「100人近く被害者がいたんだけど、その中にもともと重病で入院していたのをどうしてもって病院に頼み込んで外出させてもらった女の子がいたらしいんだよね。で、その子、食中毒で体調が悪化して亡くなったっていうんだけど、そういう話聞いたことある?」

報道では死者が出たという話はなかったように思うが、何分昔の話なので、記憶が曖昧だ。そこで文明の利器に頼ることにした。スマートフォンで「N大 食中毒」と検索する。やはり死者が出たという話は出てこない。

「報道されなかったのは、模擬店出してたのが、名古屋の政財界の大物の息子で、各所働きかけてもみ消したからっていう話で、病院にも圧力かけて、食中毒と亡くなったことの因果関係はないって診断書を書かせたらしいよ。」

初めて聞く話ではあるが、ありえない話ではないように思える。名古屋には意味がわからないくらいレベルのお金持ちがいるときくし、そういった人達であれば、当然あちこちに顔が利くだろう。子どもの不祥事を揉み消すくらい訳ないはずだ。

「で、その亡くなった女の子なんだけど、明らかに食中毒が原因で亡くなったのに、関係ないことにされたのが無念で、幽霊になって、毎年N大祭の会場内をさまよい歩いてるらしいんだよね。だから、捕まえるの手伝ってよ。捕まえたら見世物にしようと思ってるんだよね。」

常磐くんが妙なことを思いついてはお金儲けしようとしているのは知っていたが、ゴーストバスターズの真似事までしているとは、ケッタイな。どうせフライドポテトをもらいにN大祭には行かなければならないし、そのついでに常磐くんに協力することにした。

「じゃあ、土曜日の10時に講堂前の特設ステージのところに集合ということで。タモとか持ってたら持ってきてね。」

タモなんて持っていなかったが、帰りに本山駅の上にある100円ショップを覗いたら、売っていたので、買っておいた。ついでに虫かごと麦わら帽子も買った。どう考えても幽霊よりカブトムシを捕まえるのに適した装備だが、これでよしとする。幽霊がいなかったらカブトムシを捕まえて、カブトムシ相撲大会を開けばいいのだ。

 

そして当日。10時少し前に行くと、常磐くんはすでにいた。彼はツナギを着て、なぜかスティック型の掃除機を持っていた。「幽霊捕獲の正装」とのことだが、ゴーストバスターズが持っているアレは掃除機ではないし、仮に掃除機であったとしても、スティック型ではない。ゴーストバスターズというよりむしろ、清掃スタッフに見える。というか、清掃スタッフにしか見えない。

かくして、清掃スタッフと虫とり少年という奇妙な二人組でN大祭を回ることになった。メインストリートの模擬店を冷やかしながら、うろうろする。歩くのがやっとというほどの人混み。奇妙な格好の人間が2人紛れ込んでもまったく気にもされない。ということは、幽霊が1人くらい紛れ込んでいても誰も気付かないだろう。だが、「幽霊が出る」と噂が立つからには、何かしら特徴があるはずだ。例えば、透けているとか、顔色が悪いとか。

そんなことを考えながら、人混みを進んでいると、いつの間にか常磐くんの姿が見えなくなっていた。人の多さを考えれば無理もないことであるが、1人になってみると今度は虫取少年みたいな格好をしている自分が急に恥ずかしくなって立ち止まる。そしてそんな時に限って知り合いに見つかるものだ。私が立ち止まったのはフィーエルヤッペン同好会のオランダ風フライドポテトの模擬店の前で、ちょうど花田さんが客引きをしているところだった。

「バカみたいな格好してどうしたの?」

凄まじい球威のストレートを放る花田さん。常磐くんと幽霊を捕まえに来たのだと話すと

「バカな格好してバカなことしても、マイナスとマイナスを掛けたらプラス、みたいなことにはならないよ。」

と憐れみのたっぷりこもった視線と共に言われた。ぐうの音も出ない正論に、なんだか悲しくなったので、前売り券をフライドポテトと引き換える。悲しい時はカロリーを摂るに限る。

どう考えても10%増量されていると思えないフライドポテトを2つ手に持って、人の少ない図書館裏の方へ向かい、木陰に座る。そしてフライドポテトを頬張る。どのあたりがどうオランダ風なのかはわからないが、とりあえずカロリーたっぷりな味がする。それを2つとも平らげたところで、思い出す。そういえば常磐くんはどこへ行ってしまったのだろう。

きょろきょろと辺りを見回してみたが、そもそも人がいない。メインストリートの人混みを考えると、このエアポケットのような空間はとても奇妙だ。それこそ幽霊でも出そうな…と思っていると、遠くを真っ白なワンピースを着たロングヘアの女の人がふらふらと歩いているのが見えた。幽霊がいたら、あんな感じじゃないだろうか。じっとその女の人を見ていると、向こうもこちらを見て、目が合った、ような気がした。長い髪が顔に垂れていて、目は見えなかった。だが、ちらりと見えた顔は、死人のような青白いものだった。幽霊だ。本物の幽霊だ。

一瞬、足がすくむ。しかし、幽霊を捕まえなければ。その思いが足を動かす。幽霊の方へ。遠くから見たときはふらふらと歩いていたが、こちらが走って近づくのを見るやいなや、驚くほどの速さで走って逃げていく。本当に幽霊なのか。悩んでいる時間はない。本物かどうかは捕まえた後に確かめればいいのだ。ひたすら追いかける。幽霊は附属高校の方へと逃げていく。しかし、距離は縮まっている。あと少し。附属高校の脇にある大きな池の前で追い付く。走ってきた勢いを使って、腰のあたりへとタックルする。

「ぐえ」

転んだ幽霊が上げた悲鳴は、思いがけず低く、聞き覚えのある声だった。そう、幽霊の正体は常磐くんだったのだ。

転んであちこちぶつけたらしく、痛そうにしている常磐くんに手を貸して立ち上がらせながら、なぜこんなことをしたのか尋ねると

「新しい都市伝説を流布したかったんだよね。」

という。曰く、食中毒で亡くなった女の子云々は全てデタラメで、常磐くんからそのデタラメを聞かされた私が幽霊を探していると色んな人に尋ねながら歩き回り、それをきいた人がまた別の人に幽霊の話をすることで、どんどん噂が広がって、最後にはまことしやかに「N大祭を歩く幽霊」の伝説が語られるようになるのではないか、という彼なりの仮説の実証実験だったというのだ。

「本当はチラッと姿を見せて、幽霊は本当にいるって思い込ませるつもりだったけど、こんなに足が速いとは思わなかった。」

というのは彼の弁であるが、私自身、こんなに速く走れるとは思っていなかった。人には思いがけない才能があるものだ。これを機に陸上部に入るのもいいだろうか。そんなことを考えながら、常磐くんに目をやると、鯉みたいに口をぱくぱくさせながら、私の後ろの方を指差している。

「ゆ、ゆ、ゆ、幽霊がいる!」

今しがた幽霊の話はデタラメだと言ったばかりなのに、何をバカげたことを、と思いながら振り返る。

そこには白いワンピースに黒いロングヘア、青白い顔をした女の子が立っていた。私も常磐くんと同じように口をぱくぱくさせる。女の子はこちらを見てニヤリと笑うと、そのまますぅっと消えてしまった。今度こそ、正真正銘の幽霊だ。虫取少年と清掃員のゴーストバスターズには手に負えない、本物の幽霊である。完全に戦意を喪失した我々は、そのまま口をぱくぱくさせながら、下宿に帰った。その夜、怖くてトイレに行けなくて、十何年かぶりにおねしょをしたのは、ここだけの秘密である。