苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

夏の魔物

夏の街には魔物が棲んでいる。しかも、深夜の人気のない路地裏に、とかではなく、白昼堂々大手を振って、闊歩している。夜は夜で、息を潜めて忍び寄り、寝ている間に襲われるということもあるので厄介ではあるのだが。

あるロシア人は魔物の姿を見たという。曰く、髪の長い、真っ白な服を着た女で、手には鎌を持っている、と。ほっそりとした腕に似合わない凄まじい力で、人々の髪を掴んで引っ張ったり、時には手に持った鎌を使って命を奪うことすらあるそうだ。もっとも、そのロシア人が泥酔して見た幻影かもしれず、あるいは素面であったとしても、アルコール飲みたさに幻覚を見ただけという可能性もある。

魔物は、魔物であるがゆえに、情けや容赦というものを持ち合わせていない。もっぱら狙われるのは、子どもや老人である。こうした「弱者」が狙われると、命を奪われる可能性が高い。だが弱いものばかりが餌食となるのではなく、屈強な若者が狙われることもある。もっともその場合はせいぜい酷い頭痛や倦怠感に襲われるだけで済む。魔物に襲われた時に生死を分けるのは、単純に体力の寡多である。そして襲われた場合には、適切な処置を行う必要がある。

魔物を追い払う方法はいくつかあるが、そのうちの1つは、水と塩を用いる方法だ。この方法は、水と塩、それぞれがもつ「邪を祓う」力を掛け合わせることで、効果を飛躍的に高め、魔物を撃退するというものである。水だけでも、塩だけでも不足であり、それぞれ単体で魔物と対峙したものが、餌食となる事例は後を断たない。方法は非常に簡単で、たくさんの水を飲み、その後適量の塩を舐める。たったこれだけのことで、魔物は近づけなくなるのである。世の中には予め水に適量の塩を溶かした、キリスト教的世界でいう「聖水」のようなものも売られている。聖水と大きく異なるのは、キリスト教的世界の聖水が神の奇蹟(あるいは祝福)により作り出されるものなのに対し、魔物に対処するための聖水は科学の恩恵により作り出されるという点である。そして、聖水と異なり、一定のレシピに基づいて作成すれば、誰にでも作成できる。つまり、誰しも魔物に対抗しうるのである。

魔物は、人を傷付け、殺めることを目的として生まれた存在ではない。人と、いや生き物の存在そのものと魔物の存在が相容れないために悲劇は起こるのである。魔物は魔物であるがゆえに、駆逐することはできない。我々にできるのは、ただ水と塩をもって、ひたひたと歩み寄る魔物から身を守ることだけである。ほら、あなたのすぐ後ろにも魔物は潜んでいる。