苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

2019: A Spice Odyssey


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「カレーは辛え」という駄洒落がある。言えば「季節外れの寒さですね」とか「氷河期にはまだ早いですよ」などのリアクションが返ってくるレベルのものである。しかし、この言い回しは駄洒落であると同時に、事実を端的に言い表したものでもある。つまり、カレーとは辛いのである。
カレーが辛いことは誰しもが知るところであるし、戦時中には「カレーライス」という外来語が敵性語であるとして「辛味入汁掛飯」と言い替えられていたことからもわかるとおり、カレーは辛いがゆえにカレーなのである。
では、カレーの「辛さ」とは何か。唐辛子の辛さ?それもあるだろう。しかし、それだけではない。唐辛子で辛いだけの汁掛飯をカレーライスと呼べるか。答えは否である。カレーの辛さとはすなわち、スパイスの辛さである。日本語では「辛い」の一言で片付けてしまうが、中国語には唐辛子のヒリヒリした辛さを表す「辣」と山椒のしびれるような辛さを表す「麻」という言葉がある。インドではどうなのか知らないが、おそらくスパイスの辛さを表す語彙がたくさんあるのではないだろうか。それほどまでにスパイスの辛さは多様である。
そのスパイスの香りが、店から道端にまて漂っていて、そのそばを腹を空かせた男が通ったとする。この時、男が取るべき行動は「店に入りスパイスを堪能する」以外にあり得ない。現に私がそうしたのだ。
店に入り、カレーをオーダーする。週替わりの「鶏と塩豚のひよこ豆カレー」にミニキーマをトッピングする。このトッピングが満足度を大きく変えることを、先に店を訪れた時に私は学んだ。キーマカレーのスパイスが加わることで、もとのカレーのスパイスの奥行きがぐっと深まるのだ。そして、添えられた卵から覗く黄身が食欲をそそる。
ややあって、カレーが運ばれてくる。目の前のカレーからほとばしるスパイスの香気に、思わず目眩がするほどであった。これほど幸福な目眩が他にあるだろうか。
そしていよいよ、カレーを口に運ぶ。辛い。やはりカレーは辛い。しかしそれだけではない。舌が、いや脳までもがしびれる。週の半ばでぼんやりとした頭が一気に覚醒する。ああ、世界はこんなにも美しかったのか。そして、目の前のカレーは、それよりも美しく、刺激的である。辛いものは苦手と自認している私であるが、このカレーの辛さは全く苦にならないのだ。むしろ心地よくさえある。なるほど、辛さとはこういうものであったか。
食べ進めるほどに、頭はクリアになり、胃は満たされていく。そして、あっという間に皿は空っぽになる。満腹感だけではない、確かな充実感がそこにはあった。スパイスによって、脳の普段使っていない部分が刺激されたからだろう。つまり、カレーとは単なる食事ではなく、体験である。
そんな思いを胸に、店を出る。スパイスの香りがしない空間に出ただけで、急速に世界は曇りはじめる。しかし、臆することはない。何も見えなくなったら、カレーを食べればよいのだ。カレーが照らす道を行けばよいのだ。