苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

Mr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love Spice


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愛知県ではあるが、ほぼ岐阜県と言って差し支えないあたりに住んでいると、三河は未知の世界である。殊に東三河は地の果てであると考えていたほどだ。
しかし、人間は楽園を追われて、この世にやってきたのではなかったろうか。つまり、我々が追われた道を逆にたどれば、地の果てにたどり着くに違いない。そして実際に、地の果てには楽園があった。しかも、駅チカである。

楽園の扉は、無臭だった。何も知らなければ、そこに楽園があることにすら気付けなかっただろう。しかし、扉を開けて足を踏み入れると、そこは芳しいスパイスの香りで満ち満ちていた。もはやこの時点で理性は吹き飛ぶ寸前であったが、辛うじて席に着く。過剰な装飾を削ぎ落として、シンプルにまとめられた店内を見回すと、なんとキッチンまで見渡せた。キッチンに並べられたスパイスの瓶に、期待が高まる。
メニューに目をやると、何種類ものカレーがある。どれにすべきかひとしきり悩んだ後、平日限定のランチプレートのポークカレーをオーダーした。
しばらくして、カレーが運ばれてくる。まず目に飛び込んできたのは、カレーソースだ。サラサラしていて、透明感がある。「カレーは飲み物」という言葉があるが、本当にそのまま飲めるのではないかというほどだ。一口食べると、見た目とは裏腹にスパイスがびりびりと口の中を刺激する。しかし、その刺激は決して暴力的ではなく、むしろ心地よい。そして、サラサラしているので、ご飯によく絡む。カレーとご飯が一体になってこそのカレーライスだ、と皿の上で雄弁に語っているのだ。その語りに耳を傾けつつ、豚肉へとスプーンを伸ばす。ひときわ存在感のある、塊の豚肉。スプーンで簡単に崩せるくらいほろほろに煮込まれた肉だ。カレーとご飯と肉の三位一体。ああ、楽園の主はここに御座した。

あっという間に皿の上は綺麗に片付いていた。たっぷりのスパイスのカレーの後にはラッシーがふさわしい。だが、今日はあえてマンゴープリンとアイスコーヒーを選びたい。空っぽの皿と入れ替わるように運ばれてきたアイスコーヒーを飲む。そこには、これまで知り得なかった世界が広がっていた。カレーと深煎りのコーヒーがこれほどまでに合うとは。感動のあまりしばらく呆然としてしまうほどであった。そして、マンゴープリン。濃厚で甘美ななマンゴーの風味は、この食事を締めるにふさわしいものだった。しかし、どうだろう。アダムとイヴは知恵の実という甘美な果実を口にしたために、楽園を追われることになった。今ここにいる私も、この果実を口にし、平らげてしまった以上、舞い戻った楽園を再び去らねばならないのだ。

会計を済ませて店を出る。元来お腹がそれほど強いとは言えず、辛いものを食べると必ずと言っていいほどお腹をくだしていたのだが、今日はすこぶる調子が良い。唐辛子の辛さだけでない辛さならば、お腹を下さないというのは、新たな発見であった。
かくして私は心配するのを止めてスパイスを愛するようになった。