苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

A Curry Paradise Syndrome

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今年は1993年以来の冷夏になると、夏が始まる前に聞いた。だが蓋を開けてみると、殊更暑かった去年と同じぐらいの暑さの日々が続いている。「夏はやっぱりカレー」という風潮もあるが、わたしはこれに断固として反対するものである。暑かろうが、寒かろうがカレーはおいしい。季節にとらわれてしまうのは大いにもったいない。とはいえ、暑さ故にカレーを食べたくなるのもまた事実であり、特に炎天下を延々と歩き回った今日は、まさにカレーを食べるのにうってつけの日だ。
土地勘のまったくない場所でのカレー屋探しは困難を極める。それが都市部ではなく郊外であれば尚更。しかし、今回は違った。いつものようにInstagramのTLを眺めていると、ちょうど近辺の、それも新しくオープンしたカレー屋の情報がするすると流れてくる。これはまさに天啓。カレーの神様の導きであることを確信して、そのカレー屋に向かう。
店の前に着くと、小学生たちがお店の方と世間話をしている。その脇を通り抜けて、店に入る。カウンターだけの店ということで、並ぶことも覚悟していたが、昼食には少し早い時間であったことも手伝って、すんなり座れた。
メニューはカレーが2種類。あいがけカレーのサラダセットを注文して、しばらく待つ。カウンターと調理場の距離が近いので、ご飯の匂い、カレーの匂いが席まで漂ってくる。その匂いを存分に楽しみながら、今や遅しとカレーを待つ。これほど幸福な時間はほかにないだろう。
ほどなくして、カレーが運ばれてくる。クリーミーバターチキンカレーとドライキーマカレー。まずバターチキンカレーを一口。名に違わぬクリーミーさ、そしてトマトの酸味。先ほど外にいた小学生たちでも安心して食べられそうなマイルドさでありながら、無垢な子どもたちをスパイスの沼に引きずりこむには十分なスパイシーさ。子どもたちよ、家に帰ったら親に「カレー食べたい!」と伝えなさい。そしてスパイスの沼にずぶずぶと沈んだ人生を歩もう。続いてドライキーマ。クリーミーバターチキンカレーとはうって変わって、口に含んだ瞬間に強烈なスパイスの香りが鼻腔をくすぐる。くすぐるなどという優しいものではない。もっと暴力的で、それでいて気高さを感じる香り。そしてそれにビリビリとした辛さが続く。バターチキンカレーが子ども向け、ファミリー向けであるならば、このドライキーマは大人向け、それもスパイスの沼にどっぷり使った大人向けのカレーだ。香りと辛さの洪水で五感が飽和してしまいそうになる。だが飽和寸前のところでピタリと止まる。ここを超えればバランスが崩壊しておいしさが消えてなくなってしまうというポイント、そのギリギリを攻めるスリルがたまらない。
あいがけであるが、混ぜるということはせずに、別々に食べて、安寧と混沌を行ったり来たりする。じきに皿は空っぽになる。お腹が満たされ、それと同時に脳の隅々まで血液が行き渡るのを感じる。店を出て、灼熱の日差しに焼かれながら思う。夏はやっぱりカレーだね。