苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

台湾彷徨その2

敗北をビールで流した翌朝。目覚めは決して良いものではなかった。愛すべき四畳半的な部屋は、廊下を人を通ればその音が、隣室がシャワーを使えばその音が、まるで壁などないかのような音量で聞こえてくるのだ。さらに、どういうわけか、深夜に部屋の目の前で犬が鳴いている声が聞こえてきた。そんな騒音の中で熟睡できるはずもなく、うつらうつらとして、気がつくと朝だった。


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そんなホテルであるが、なんと朝食付きのプランであったので、あまり期待せず食堂に下りる。どうせ薄いパンと薄いコーヒーだろうと思っていて、その通りであれば外で食べようと決めていたのであるが、なんとビュッフェ形式であった。しかも、メニューは中華風のものと洋食風のもの合わせて8種類程度はあり、主食もパンとお粥を選ぶことができるという、とても防音に乏しい四畳半的な部屋のホテルの朝食とは思えない。おかずを何種類かとお粥を選んで食べていると、他の宿泊客も続々と食堂にやってくる。皆一様に中国語を話しているので、当然お粥を食べるものだと思っていたのだが、ほぼ全員がパンを選んでいた。中国文化圏の朝食といえば、お粥か油条というイメージがあったが、必ずしもそうではないようである。

朝食を済ませて、向かった先は故宮博物館。西門から士林まで地下鉄、そこからバスで20 分ほど。士林のバス停に着くと、ほどなくしてバスがやって来る。するとバス停にいた人たちが一斉に手を挙げて、バスの方へと走り寄っていく。一瞬、面食らうが、何事もなかったかのようにバスは停まり、人々は何もなかったかのようにバスに乗り込む。その後ろに続いて、バスに乗り込む。そこでふと気付いたのは、バスの乗り方をよく知らないということであった。日本国内でも会社によって乗り方が違って戸惑うことがあるというのに、全く下調べもしないでバスに乗るとは、我ながら大胆なことをしたものである。バスの中で調べると、故宮博物館行きのバスは、前後どちらから乗ってもよく、乗車時と降車時にICカードをリーダーにタッチするとのことであった。ついでに乗車時にはバス停で手を挙げるなどして乗るアピールをしないと素通りされることがあるそうで、多少大げさなくらいにアピールするのが良いらしい。とはいえ、先ほどのアピールの仕方は大げさすぎるようにも思えるのだが、その結果としてバスに乗ることができている以上、文句は言えない。


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20分ほどバスに揺られて、故宮博物館に着く。バス停を降りて建物に入って、チケット売り場を探すも、見当たらない。ミュージアムショップや郵便局、団体用の窓口はあるが、個人客用のチケット売り場はない。自動券売機が1台だけ置かれていたので、しぶしぶそこでチケットを買う。そこで気付いたのは、ここは1階ではなく、地下1階であるということだ。エスカレーターを上ると、そこにはチケット売り場がちゃんとあった。入り口のリーダーにチケットのQRコードを読み込ませて、いよいよ入場。入ってすぐ目に飛び込むのは、3階まで吹き抜けのホールと、大きな階段。そこから左右にいくつも展示室が並んでいる。朝一番のタイミングを狙って入館したものの、すでに団体客が何組もおり混雑していた。


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1階は仏教美術清朝の王府の家具類の展示。ふくふくとして、穏やかな顔の仏様の立像があり、何だか他人とは思えず、しばらく前に立って眺めていた。幸い、その間他の人は来なかったが、来ていたら、拝まれていたかもしれない。清朝の家具類の展示コーナーでは王府の書斎が再現されていたが、家具の存在感がとても重厚で、座っているだけでも押し潰されてしまうのではないかと思われるほどであり、この存在感に耐えられるほどの人物でなければ皇族は務まらないのであろう。


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中国という国の歴史の重みを感じながら2階に上がると、そこは陶磁器類の展示コーナーである。宋代の青磁から、明代・清代の色鮮やかな陶器まで、所狭しと並んでいる姿は壮観である。ツアーの団体客が足早に展示を眺めて去っていくのを尻目に、一品一品じっくりと鑑賞する。発色の美しさに息を飲んだり、絵付けの細かさに驚嘆したりしていると、チベットで作られた、梵字が書かれた茶碗があった。この器でお酒を飲めば、飲むほどに功徳を積めるのではないかと邪な考えがよぎる。しかしチベットには水力で回転して功徳を積んだことにし続けるマニ車もあるという。人力でなんとかしようとしている点で、それよりは邪というか横着ではない。と思いたい。


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2階では企画展も開催されていた。題して「故宮動物園」。てっきり広大な故宮博物館の敷地に、新たに動物園がオープンするのだと思っていたのだが、そうではなくて、収蔵品の中から動物が描かれた絵画を選び出して展示するというものであった。実際の動物の写真もあわせて展示されており、絵画がどうデフォルメされているかを比較しながら鑑賞することができる。このコーナーは団体客の見学ルートからは外れているようで、陶磁器コーナーの混雑ぶりが嘘のように静かであった。見ごたえがないか、というとそんなことは全くなく、見終わった後には、動物園に行ったかのような満足感があった。特に耳からふさふさした毛がはみ出しているライオンの絵は必見である。


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続いて3階に上がる。金属器と玉器のコーナー。中国という国が古代からいかに玉器を愛してきたか、ということがすさまじいボリュームで展示されている。ヒスイ製の矢尻に始まり、水差しなど、何もそこまでしなくても、というレベルに削った玉器が目白押しである。特に、玉器でありながら、陶器のような透け感を実現するという執念は恐るべきものである。陶磁器は明代・清代のものが中心であったが、金属器や玉器は古代の王朝のものが中心である。3000年以上前の夏や商(殷)の時代の遺物が実際に目の前にあるという事実は、歴史の大きな流れの中に自分もいるということを改めて感じさせるものであり、壮大なスケールに少しめまいがするほどであった。


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そして同じフロアには、故宮博物館最大の見どころである「翠玉白菜」と「肉形石」も展示されている。展示室は入れ替え制で、列に並ばなくては鑑賞することができない。となると、長蛇の列を覚悟せねばならないところであるが、タイミングが良かったのか、列はほとんどなく、5分程度の待ち時間で展示室に入ることができた。「翠玉白菜」も「肉形石」も、どちらも原材料の見た目がそれぞれ白菜と東坡肉に似ているから作ってみました、という食いしん坊万歳な発想で作られたのではないかと思われるが、思い付くのは容易くとも、実現するのは大変に難しい。それを実現し、「翠玉白菜」には葉についたバッタまで再現するというのは、恐るべき食い意地の為せる業だ。とはいえ、そんな至宝も、後から後から人が押し寄せてくるので、じっくりと見ることはできず、「おいしそう」という食いしん坊丸出しな感想が出てくるばかりで、展示室を後にすることとなった。


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一通り展示を見終わったところで時計を見ると、12時少し前であった。「おいしそう」という感想しか出てこないのも仕方がない時間なので、博物館の敷地内にあるカフェ「富春居」で昼食。本館から離れているので、全く人気がなく、少し心配になるが、空腹には勝てず、恐る恐る店に入る。席に案内されて、メニューを渡されたので、席でオーダーするのかと思いきや、レジのところで注文して先に代金を支払うスタイルだった。昨夜のリベンジということで牛肉麺を注文する。トラウマを克服するには、同じことをするに限る。その結果悪化するということもままあることではあるのだが、今回は、克服に成功した。おいしい牛肉麺でお腹が満たされた後は、ミュージアムショップを冷やかす。これでもかというほど白菜と東坡肉グッズがあれこれ並んでいる。中には「朕は汝臣に銀一千両を下賜する」というようなことが書かれたポチ袋があったり、自由すぎるラインナップで、見ているだけで迷ってしまう。その中から白菜ボールペンを購入し、士林駅行きのバスに乗る。まだ昼過ぎだ。今日という日はまだ長い。


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士林駅から地下鉄に乗り、雙連駅で下車。向かう先は迪化街。台北の下町で、乾物屋さんがたくさん並んでいるところ、らしいという前情報で向かう。雙連の駅から徒歩20分ほど。途中、昨晩苦杯を嘗めた寧夏夜市の近くを通る。昼間に通るとまた雰囲気が違って面白い。蒸し暑さでひいひい言いながら迪化街にたどり着くと、一帯に漢方薬のような匂いが漂っている。スルメやキクラゲなどの乾物に加え、日本ではあまり見かけない漢方の原料になりそうなものだったりがそこかしこの店先に並んでおり、それが一帯の匂いを生んでいる。呼吸をするだけでどことなく健康になりそうな街を歩く。店先の乾物よりも、目を惹かれたのは、周囲の建物だった。いかにもアジアな感じの雑居ビルに混じって、100歳近いのではないかと思われる建物がそこかしこに残っているのだ。大正時代の日本もこのような景色であったろうかなどと考えながら歩くが、どうにもこうにも蒸し暑くて敵わない。

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どこかで冷たいものでも、と思っていると、「孵珈琲洋行」という大正時代から抜け出してきたような名前の喫茶店があったので、入ってみる。内装も大正時代を思わせるレトロさであったが、中で供されているコーヒーは台湾では珍しいスペシャルティコーヒーであった。入るなり、バリスタさんからコーヒーについて中国語で説明を受ける。言っているであろうことは何となくわかるのであるが、どうしたものかと思っていると、中国語話者ではないことを察してくれたのか、英語で説明してくれた。世界各地のコーヒー豆に加えて、台湾産のコーヒー豆も取り扱っていたので、阿里山の浅煎りを注文する。暑い暑いと思っていたのに、ホットコーヒーを頼んでしまったことを少し後悔したが、幸いなことに店内は冷房が効いており、一息つくと汗も引いたので、温かいコーヒーをのんびり飲む。クセがなく、とても飲みやすいコーヒーである。日本でももっと出回ればよいと思うのだが、生産量等々の問題で難しいのだろう。台湾国内でも希少価値がついているようで、他国の豆よりも高めに設定されていることが多いように見受けられた。


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冷房とコーヒーですっかり元気を取り戻して、再び散策を開始する。近くに船着き場があるようだったので、行ってみる。淡水河という、そりゃあ川だから淡水でしょうよという名前の川の船着き場だ。観光船が発着しているようで、客引きのおじさんが「まもなく出航だよー!」というようなことを威勢よく叫んでいる。乗ってみるのもいいかと思ったが、もうすこし迪化街をうろうろしたかったので、河を眺めるだけにしておいた。再び迪化街に戻る。先ほどは歩いていない界隈へと足を向けるが、相変わらず乾物屋さんがずらっと並んでいる。店先を冷やかしながら歩いていると、突然寺院が現れる。霞海城隍廟だ。地元の守り神様が祀られているとのことで、参拝しようと思ったが、方々で神様に頭を下げていては、日本の神々がヘソを曲げるかもしれないというよくわからない心配から、遠巻きに眺めるだけにした。線香を捧げ持ち、熱心に祈りを捧げる人々の姿を眺めるのは、それだけで心が洗われるようである。霞海城隍廟まで来て、さて次はどうしようかと考える。この先のことは考えていなかったのだ。悩んだ時は歩きながら考えるのが良い。幸いなことに台北の駅までもさほど遠くはない、ということで歩き始める。思えばここが後の悲劇の発端であった。

迪化街を抜けても古い建物はちらほら残っており、それを眺めながら歩く。ひたすら歩く。途中で台北駅の地下街の入り口を見つけたので、そこからは地下を歩く。地下街のY区はオタクカルチャーの集積地のようになっており、何らかのイベントが開催されていたようでもあり、コスプレイヤーが何人もいた。地下街に降りて予想外だったのは、思いの外冷房が効いていないことである。外よりは幾分マシではあるものの、暑い。そして人が多いからか、何となく頭がぼんやりしてくる。そして、駅まですぐかと思ったものの、そんなことはなく、地下街を延々歩くことになった。ぼんやりした頭で歩いて、同じ場所をぐるぐる回っているだけではないかという不安に囚われていると、ようやく台北駅に到着する。歩きながら考え出した次の行き先は永康街だった。


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台北から地下鉄に乗り東門駅で下車。歩くとすぐに永康街に到着する。グルメもお土産もなんでもござれな界隈とのことだが、お腹も空いていないし、荷物もあまり増やしたくないというワガママぶりを1人で発揮し、あてもなくうろうろ歩いていると、路上でポン菓子を売っている人たちがいた。が、タイミングよく「ポン」の瞬間に立ち会える訳もなく、機械を眺めるだけであった。その後もうろうろ歩きまわり、大通り沿いに名古屋が誇る「矢場とん」のお店があるのを見つけ、立ち止まる。そして右手に目をやると台北101がそびえたっているのが見えた。地下鉄で4駅ほどの距離である。歩いていけないことはなさそうだと判断したのは、暑さで頭が回らないせいなのか、霞海城隍廟で神々に挨拶しなかったからなのか。とにかく歩き始めてしまったのだ。30分もあれば着くだろうと思っていたのだが、30分歩いてようやく1駅というペースであった。途中で地下鉄に乗るという選択肢もあったのだが、途中で投げ出したくないというよくわからないプライドが邪魔をして、とにかく歩き続けることにした。途中、街並みが整っているエリアと、雑然としていて食堂があったり、露店が出ているエリアと、交互に現れて面白いなあなどと思いつつも、一向に到着しない。ようやく到着したのは、歩き始めて1時間半以上経ってからで、すでに日は傾いていた。



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101階建てなので台北101という、かつて浅草にあった十二階(凌雲閣)を彷彿とさせるネーミングの構想ビル。ところどころに雲の意匠が施されており、まさに現代の凌雲閣と読びたくなるところである。商業棟の地下にはフードコートがあるとのことだったので、重い脚を引きずって、地下に下りる。空腹と疲労とで、お店を真剣に選ぶ気力すらなく、とにかく肉っぽいものが食べたい、という本能の赴くまま、肉っぽいご飯を提供しているお店を選ぶ。後に調べてみるとHawker Chanというシンガポールミシュラン一つ星を獲得したというお店であった。ここへきて台湾の料理ではないが、日本では食べられないもの、しかもミシュランの星付き料理が日本円で1000円に満たない価格で食べられたので、よしとしたい。そして、疲れた身体に甘みの効いたお肉と炭水化物はたまらない。一息ついたところで、お土産を買おうという気になった。さすがに何も買わずに帰る訳にはいかない。フードコートと同じフロアにお菓子類を扱うお土産コーナーがあり、しかも複数社の商品を取り扱っている。価格と数量を比較しながら買うのに最適な場所である。そして何より試食が可能であるため、安かろう悪かろうな商品を引く心配がない。あれやこれやと試食して、裕珍馨のものにした。

お土産を買った後は台北101の商業棟をうろうろする。世界に名の知れたハイブランドの店が軒を連ねる中を歩くのは、それだけで何となく居心地の悪いものであったが、折角なので、ということで一通り歩く。当然ながら、何も買わずに見終えてしまい、地下鉄の駅へ向かう。さすがに帰りは歩く気力も体力もなく、地下鉄で西門駅へ向かう。


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夕飯を食べて、少し体力が回復したものの、やはり疲れているので、さっさと寝たいところであったのだが、どういう訳か、もう少しだけ歩きたい気分になり、西門の街をうろうろする。歩いていると、ビルの谷間に突然立派な寺院が建っていた。境内に入ると、外の雑踏が嘘のように静かで、熱心に祈りを捧げている人が何人もいた。その様子を眺めながら、この旅も終わりに近付いているという感傷に浸る。ひとしきり浸ると、先ほど夕飯を食べたばかりなのに、お腹が空いてきた。このまま寝るという選択肢はないだろう。ポケットからスマートフォンを取り出す。


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西門では西門金鋒の魯肉飯を食べるべきとのことだったので、それに従う。店に着くと、さすがに人気店であるので、外まで並んでいる。一旦店に入って、オーダーシートを受け取る。記入した後はお店の人に渡して、自分の番がくるまで待つ。これらをカタコトの英語でやり取りするのもこれが最後かと思うと、少ししんみりする。しんみりしても腹は減る。しばらくして店内に通されるとすぐに魯肉飯が運ばれてくる。そして、なんとなく後ろめたさから頼んだ青菜のおひたし。本日二度目の夕飯にも関わらず、あっという間に食べ終えて、店を出る。お腹も満たされたし、疲労感もたっぷりだし、今日はしっかり眠れるだろうか。そんな淡い希望を持って、愛すべき四畳半的な部屋に戻る。夜はまだまだ長いが、今夜はここまでである。スマートフォンで今日の歩数を確認すると3万歩を超えており、総歩行時間は6時間近くに及んでいた。