苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

駅舎にて

ある新月の晩のこと。ある街のターミナル駅の待合室で、若草色のワンピースを着た少女が大きな旅行カバンを脇に置いて、椅子に腰かけている。ラッシュの時間は過ぎたものの、たくさんの乗降客が行き交っており、待合室もほとんどの席が埋まっている。同行者と会話を楽しむ者もいれば、仕事帰りだろうか、ほろ酔いで鼻唄を歌っているサラリーマンもいる。

そこへ大きな、古びたトランクを手にした、真っ青なシャツの上に朽葉色のジャケット初老の紳士が入ってくる。空席を探して、あたりを見回すと、

「お隣、よろしいですかな?」

と若草色のワンピースの少女に声をかける。

「ああ、すみません。混んでいるのに気付かなくて。」

そう言って少女は荷物を椅子からおろし、紳士は空いた席に腰かける。

「随分と大荷物ですね。どこかへ旅行ですか?」

紳士は少女に尋ねる。

「北の方へ行くんです。まだ行ったことがなくて、どんなところなのか、ちょっと不安です。」

少女ははにかんだような笑顔を浮かべながら、そう答える。すると、紳士は少し驚いたような顔を浮かべ

「奇遇ですね。私はつい先日まで北の方にいたのです。北の方は、木々が赤や黄色に色付いて、とても美しいところですよ。そして、いろんな食べ物が実りの時を迎えていて、何を食べてもとてもおいしい。気候も良くて、スポーツをしたり、絵を描いたり、読書をしたり、何をするにももってこいです。」

と言った。すると少女は

「それを聞いて、行くのがとても楽しみになりました。」

と安堵のため息をついた。

「ところで、私はこれから南の方へ行くところなのですが、あの辺りのことについて、何かご存知ではないでしょうか。以前に行ったことはあるのですが、随分と時間が経ってしまったので、きっと様子が変わってしまっていると思うのです。」

紳士がそう尋ねると、少女は満面の笑みを浮かべながら、答えた。

「こんな偶然があるのですね!わたしはついこの間まで南の方を旅していたんです。まだ少し寒かったですが、色々な植物が芽吹いたり、色とりどりの花をつけたり、動物たちも長い眠りから起き出してきたり、とても賑やかで、楽しいところです。あ、でもわたしは花粉症があるので、それはちょっとつらかったかな。」

紳士は「はっはっはっ」と笑う。

「やはり、私が知っているのとは随分様子が違いますね。けれど、どうやら我々がこれから行こうとしているところはどちらも素晴らしいところのようですな。」

少女は笑顔でうなずく。

「おっと、そろそろ列車が来る頃だ。お互いあちこち旅をしていたら、いつかまたどこかで会うこともあるでしょう。それまでお元気で。最後に、名前を伺ってもよろしいですかな?」

紳士はトランクを持って立ち上がりながら尋ねる。

「ハルカって言います。またどこかでお会いしましょう。えーと…」

少女は言いながら少し困った顔を浮かべる。紳士ははっとして、こう言う。

「人に尋ねる前に、自分が名乗らないといけませんでしたね。私はアキオと言います。」

「それではまた会う日までお元気で、アキオさん。」

少女は紳士に向かって大きく手を振る。紳士は小さく手を振って応える。

ターミナル駅から列車は北へ、南へ、行ったり来たり。この先二人が見るのは、話に聞いていたのとは、大きく違う景色です。けれど二人はそれぞれに満ち足りた時間を過ごします。そして、またこのターミナル駅へと帰ってくるのです。けれど、それはまだまだ先のお話。何度も何度も夢を見て目覚めて、忘れた頃にやってくる日のお話なのです。