苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

鈴の音がきこえる

何となく眠れなくて、ベッドから這い出した。時計を見ると、23時を少し過ぎたところ。枕元にはまだ何もない。今夜はきっと、世界中の良い子も良くない子もなかなか眠りにつけないだろう。だって今夜は、赤い帽子に真っ白い髭の、あの人が来る夜だから。

リビングにおりてみる。電気が消えて真っ暗で、いつもとは雰囲気が違う。それに、恐ろしいくらいに静かだ。まるで、世界が滅びてしまったような。

そんなことを考えていたら、とても怖くなって、カーテンを少しだけ開けて、外を見る。

「わぁ…すごい。」

いつだったか、ママがキッチンでお砂糖の瓶をひっくり返して床が真っ白になったことがある。今目の前にあるのは、それと同じ、いやもっともっとたくさんのお砂糖の瓶をひっくり返したみたいな景色だ。今日の塾の帰り道、パパの車のステレオから「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう」っていう歌が流れていたけれど、本当にそうなった。

窓を開けて、真っ白になった庭へ出る。サンダルの隙間から雪が入ってきて、ひんやりする。そこらじゅうに足跡をつけてまわっていると、どこからか鈴の音がきこえた。はじめは微かな音だったのに、だんだん近づいてくる。そしていつの間にか、すぐ後ろに。振り返ると、そこには赤い帽子に真っ白い髭のあの人、サンタクロースが立っていた。

「ホー!ホー!ホー!メリークリスマス!」

と、お決まりの挨拶。夢でも見ているのだろうか。ほっぺをつねってみる。痛い。それに雪で冷えた足もじんじんと痛くなってきている。

「ほ、本物のサンタクロースなの?」

恐る恐る尋ねてみる。

「もちろん本物じゃよ。今夜は良い子にプレゼントを配っておる。こんな時間に外にいるのは悪い子かな?」

サンタクロースは真っ白なあご髭を手でさすりながらそう言った。

「世界中の子どもにプレゼントを配るんだったら、こんなところでおしゃべりしてていいの?僕の小学校だけでも100人以上は子どもがいるよ?」

サンタクロースはにやりと笑う。

「いい質問じゃな。こんなところでおしゃべりしておっても、何の問題もない。なぜならわしは、どこにでもおるし、どこにもおらん存在じゃからな。」

「どこにでもいて、どこにもいない存在…?」

「きみにはまだちょっと難しかったかの。わかりやすく言えば、幽霊とか妖怪みたいなもんじゃ。妖怪ならきみも知っているだろう?」

小学校に入る少し前、ちょっとした妖怪ブームがあって、時計型のおもちゃとか、メダルとかをクリスマスプレゼントにもらったことがあったっけ。

「ようかい体操をしていた頃のきみは、ずいぶんと可愛らしかったなぁ。」

遠い目をしながら、サンタクロースは呟く。ようかい体操をしていたの、家の中だけなのに、いつ、どこで見ていたんだろうか。

「おじさんは本物のサンタクロースだって言うけど、僕、本当は知ってるんだ。クリスマスにプレゼントを置いていくのはパパなんだよ。去年のクリスマスに、僕見たんだ。」

サンタクロースは「ほっほっほ」と笑う。

「それは、わしがきみのパパの姿になっていたに過ぎんよ。きみのパパがわしになっていたと言うのが正しいかもしれんが。」

そういうや否や、サンタクロースの顔がだんだんパパの顔になっていく。完全にパパの顔になった瞬間、背筋がぞくりと凍る。寒いからだ。きっと寒いからだ、と自分に言い聞かせる。パパの顔になったサンタクロースは優しい笑みを浮かべ、その次の瞬間にはサンタクロースの顔に戻る。一体、何がどうなっているのか。

「ほっほっほ。これでわかったろう?わしはどこにでもおるし、どこにもおらん。サンタクロースであるし、他の誰でもある。」

「なんだかよくわからないや。」

サンタクロースは僕の頭にポンと手を置き、

「いずれわかるさ。きみもいつかきっと、誰かにとってのサンタクロースになる日がくるだろうから。」

そんな日がくるのだろうか。サンタクロースはじっと僕の目を見つめて頷いている。

「さて、長居をしていると大人たちが起きてくるかもしれんから、そろそろ帰るよ。今夜、遅くまで起きていたことは見なかったことにするから、来年のクリスマスまで良い子にしておるんじゃぞ。」

そう言うとサンタクロースはピューッと指笛を吹く。すると、どこからからソリを曳いたトナカイがやってくる。サンタクロースがソリに乗り込み、「ホー!ホー!ホー!」と言うと、ソリは静かに動きだし、空へと浮かび上がっていく。僕はサンタクロースの姿が見えなくなるまで、ずっと空を見つめていた。

リビングに戻り、窓を閉める。今のできごとはなんだったのだろうか。頭の中がぐちゃぐちゃして、ぼんやりする。とりあえず、身体を温めるために、ベッドに戻る。布団の中は電気毛布でポカポカだ。そのポカポカが身体に移ってくるにつれて、意識がだんだんと遠のいていく。

気がつくと、朝だった。枕元には、プレゼントの箱が置いてある。いつの間にか眠ってしまって、その間にパパが置いたのだろう。

着替えて、眠い目をこすりながらリビングにおりる。パパもママも起きていて、朝ごはんを食べている。僕たちは冬休みだけど、大人たちの冬休みはまだ先らしい。

「僕、昨日の夜、サンタさんに会ったよ。」

二人に向かって言う。いつもならママに「夢でも見てたのよ」と言われて、相手にされないところだけど、今日は違った。

「ママも昔、会ったことがあるのよ。」

「パパもだ。なんだか難しいことを言っていたっけ。まあ、サンタさんに会えるっていうことは、良い子にしてたってことだろう。プレゼントはもらえたのかい?」

枕元から持ってきた箱を頭の上に掲げて、僕は「うん!」と頷く。

それから、パパが僕の分の朝ごはんも用意してくれて、三人で食べる。プレゼントがどんなに嬉しかったかをしゃべりながら。僕が喜んでいるのを見るパパもママも、嬉しそうだった。

僕の街はすっかり朝になってしまったけれど、世界のどこかでは、まだ昨日の夜で、サンタクロースはまだ良い子たちにプレゼントを配ってまわっているのだろう。耳を澄ますと、ずっとずっと遠くに、微かな鈴の音がきこえる。

駅舎にて

ある新月の晩のこと。ある街のターミナル駅の待合室で、若草色のワンピースを着た少女が大きな旅行カバンを脇に置いて、椅子に腰かけている。ラッシュの時間は過ぎたものの、たくさんの乗降客が行き交っており、待合室もほとんどの席が埋まっている。同行者と会話を楽しむ者もいれば、仕事帰りだろうか、ほろ酔いで鼻唄を歌っているサラリーマンもいる。

そこへ大きな、古びたトランクを手にした、真っ青なシャツの上に朽葉色のジャケット初老の紳士が入ってくる。空席を探して、あたりを見回すと、

「お隣、よろしいですかな?」

と若草色のワンピースの少女に声をかける。

「ああ、すみません。混んでいるのに気付かなくて。」

そう言って少女は荷物を椅子からおろし、紳士は空いた席に腰かける。

「随分と大荷物ですね。どこかへ旅行ですか?」

紳士は少女に尋ねる。

「北の方へ行くんです。まだ行ったことがなくて、どんなところなのか、ちょっと不安です。」

少女ははにかんだような笑顔を浮かべながら、そう答える。すると、紳士は少し驚いたような顔を浮かべ

「奇遇ですね。私はつい先日まで北の方にいたのです。北の方は、木々が赤や黄色に色付いて、とても美しいところですよ。そして、いろんな食べ物が実りの時を迎えていて、何を食べてもとてもおいしい。気候も良くて、スポーツをしたり、絵を描いたり、読書をしたり、何をするにももってこいです。」

と言った。すると少女は

「それを聞いて、行くのがとても楽しみになりました。」

と安堵のため息をついた。

「ところで、私はこれから南の方へ行くところなのですが、あの辺りのことについて、何かご存知ではないでしょうか。以前に行ったことはあるのですが、随分と時間が経ってしまったので、きっと様子が変わってしまっていると思うのです。」

紳士がそう尋ねると、少女は満面の笑みを浮かべながら、答えた。

「こんな偶然があるのですね!わたしはついこの間まで南の方を旅していたんです。まだ少し寒かったですが、色々な植物が芽吹いたり、色とりどりの花をつけたり、動物たちも長い眠りから起き出してきたり、とても賑やかで、楽しいところです。あ、でもわたしは花粉症があるので、それはちょっとつらかったかな。」

紳士は「はっはっはっ」と笑う。

「やはり、私が知っているのとは随分様子が違いますね。けれど、どうやら我々がこれから行こうとしているところはどちらも素晴らしいところのようですな。」

少女は笑顔でうなずく。

「おっと、そろそろ列車が来る頃だ。お互いあちこち旅をしていたら、いつかまたどこかで会うこともあるでしょう。それまでお元気で。最後に、名前を伺ってもよろしいですかな?」

紳士はトランクを持って立ち上がりながら尋ねる。

「ハルカって言います。またどこかでお会いしましょう。えーと…」

少女は言いながら少し困った顔を浮かべる。紳士ははっとして、こう言う。

「人に尋ねる前に、自分が名乗らないといけませんでしたね。私はアキオと言います。」

「それではまた会う日までお元気で、アキオさん。」

少女は紳士に向かって大きく手を振る。紳士は小さく手を振って応える。

ターミナル駅から列車は北へ、南へ、行ったり来たり。この先二人が見るのは、話に聞いていたのとは、大きく違う景色です。けれど二人はそれぞれに満ち足りた時間を過ごします。そして、またこのターミナル駅へと帰ってくるのです。けれど、それはまだまだ先のお話。何度も何度も夢を見て目覚めて、忘れた頃にやってくる日のお話なのです。

Close Encounters of saury

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唐の詩人の于武陵(とそれを翻訳した井伏鱒二)は「さよならだけが人生だ」と言っている。人が生きる上で、別れは避けられないものであり、人生の終着点である「死」を迎えた時には、この世界とお別れすることになる。とはいえ、「さよなら」ばかりが人生ではない。いずれ「さよなら」に行き着くとしても思いがけない出会いが人生を豊かにするのもまた事実だ。そんな出会いを求めて、今日もカレー屋の扉をくぐる。そしてサンマをまるまる一尾トッピングしたココナッツカレーを注文する。

浅野いにおの『ソラニン』に焼き魚カレーという食べ物が出てくる。残り物の焼き魚とカレーを組み合わせた食べ物でお箸で食べるべきか、スプーンで食べるべきか悩む代物だ。この焼き魚をオイル漬けに置き換えてみるとどうだろうか。骨まで柔らかで、食べる際に身をほぐす必要はない。そうなれば、スプーンだけで食べることができる。ここまでは容易に発想することができる。しかし、オイル漬けにする魚といえば、イワシとか、ホタルイカとか、さほど大きくないものがほとんどだ。サンマほどの大きさの魚をオイル漬けにするという発想はなかなか出てこない。仮に出てきたとしても、まるまる一尾で作るというのは、暴挙と言って差し支えないだろう。ましてや、それをカレーにトッピングするなど、狂気の沙汰である。だが、その狂気が、既存の、凝り固まった価値観を打ち壊す瞬間は、たまらなく心地良い。

運ばれてきた皿からは、サンマがはみ出している。この時点で相当のインパクトだ。果たしてカレーは。ココナッツで暴力性は抑えられているとは言え、びりびりと舌を突く刺激。見た目のインパクトだけの出オチカレーではない。サンマがなくとも十分においしい。続いてトッピングのサンマ。骨まで柔らかに煮込まれていて、スプーンで難なく切ることができる。焼きサンマとは違う、しっとりとした食感。このサンマだけで、お酒が半升は飲めるのではないかという完成度。しかし、今日はカレーである。スプーンで身を崩し、カレーと混ぜて食べる。サンマの旨味がカレーのまろやかスパイシーさに加わり、相乗効果でおいしさを増していく。そして何よりおいしいのが内臓だ。焼きサンマでは食べるのを躊躇してしまう、苦味がある内臓だが、カレーと合わせて食べると、その苦味が絶妙なアクセントになって、カレーがよりおいしくなる。カレー、サンマ、サンマカレー。何度も何度もそれを繰り返す。そしてあっという間にサンマの身はなくなり、頭だけになる。しかし、これで終わりではない。オイル漬けであるがゆえに、サンマの頭も食べられるのだ。恐る恐る口に運ぶ。ザリザリした食感を予想していたが、それは大きく外れる。とても柔らかい。そしてカニミソのよえな濃厚な旨味が口いっぱいに広がる。普段、こんなにおいしいものを食べずにいたとは。そんな後悔すら抱くほどの発見であった。そして皿は空になった。

空っぽの皿を残して、席を立つ。さよならだけが人生。別れの際にはやはりそう思ってしまう。しかし、全てが永遠のお別れではない。いつかまた出会うための、しばしの別れもあるだろう。このカレーにまた出会えるのは、次の秋になるかもしれないし、ひょっとしたらもう出会えないかもしれない。いつかまた出会いたいという期待を込めて、わたしはこう言う。

「またね。」

A Curry Paradise Syndrome

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今年は1993年以来の冷夏になると、夏が始まる前に聞いた。だが蓋を開けてみると、殊更暑かった去年と同じぐらいの暑さの日々が続いている。「夏はやっぱりカレー」という風潮もあるが、わたしはこれに断固として反対するものである。暑かろうが、寒かろうがカレーはおいしい。季節にとらわれてしまうのは大いにもったいない。とはいえ、暑さ故にカレーを食べたくなるのもまた事実であり、特に炎天下を延々と歩き回った今日は、まさにカレーを食べるのにうってつけの日だ。
土地勘のまったくない場所でのカレー屋探しは困難を極める。それが都市部ではなく郊外であれば尚更。しかし、今回は違った。いつものようにInstagramのTLを眺めていると、ちょうど近辺の、それも新しくオープンしたカレー屋の情報がするすると流れてくる。これはまさに天啓。カレーの神様の導きであることを確信して、そのカレー屋に向かう。
店の前に着くと、小学生たちがお店の方と世間話をしている。その脇を通り抜けて、店に入る。カウンターだけの店ということで、並ぶことも覚悟していたが、昼食には少し早い時間であったことも手伝って、すんなり座れた。
メニューはカレーが2種類。あいがけカレーのサラダセットを注文して、しばらく待つ。カウンターと調理場の距離が近いので、ご飯の匂い、カレーの匂いが席まで漂ってくる。その匂いを存分に楽しみながら、今や遅しとカレーを待つ。これほど幸福な時間はほかにないだろう。
ほどなくして、カレーが運ばれてくる。クリーミーバターチキンカレーとドライキーマカレー。まずバターチキンカレーを一口。名に違わぬクリーミーさ、そしてトマトの酸味。先ほど外にいた小学生たちでも安心して食べられそうなマイルドさでありながら、無垢な子どもたちをスパイスの沼に引きずりこむには十分なスパイシーさ。子どもたちよ、家に帰ったら親に「カレー食べたい!」と伝えなさい。そしてスパイスの沼にずぶずぶと沈んだ人生を歩もう。続いてドライキーマ。クリーミーバターチキンカレーとはうって変わって、口に含んだ瞬間に強烈なスパイスの香りが鼻腔をくすぐる。くすぐるなどという優しいものではない。もっと暴力的で、それでいて気高さを感じる香り。そしてそれにビリビリとした辛さが続く。バターチキンカレーが子ども向け、ファミリー向けであるならば、このドライキーマは大人向け、それもスパイスの沼にどっぷり使った大人向けのカレーだ。香りと辛さの洪水で五感が飽和してしまいそうになる。だが飽和寸前のところでピタリと止まる。ここを超えればバランスが崩壊しておいしさが消えてなくなってしまうというポイント、そのギリギリを攻めるスリルがたまらない。
あいがけであるが、混ぜるということはせずに、別々に食べて、安寧と混沌を行ったり来たりする。じきに皿は空っぽになる。お腹が満たされ、それと同時に脳の隅々まで血液が行き渡るのを感じる。店を出て、灼熱の日差しに焼かれながら思う。夏はやっぱりカレーだね。

夏の魔物

夏の街には魔物が棲んでいる。しかも、深夜の人気のない路地裏に、とかではなく、白昼堂々大手を振って、闊歩している。夜は夜で、息を潜めて忍び寄り、寝ている間に襲われるということもあるので厄介ではあるのだが。

あるロシア人は魔物の姿を見たという。曰く、髪の長い、真っ白な服を着た女で、手には鎌を持っている、と。ほっそりとした腕に似合わない凄まじい力で、人々の髪を掴んで引っ張ったり、時には手に持った鎌を使って命を奪うことすらあるそうだ。もっとも、そのロシア人が泥酔して見た幻影かもしれず、あるいは素面であったとしても、アルコール飲みたさに幻覚を見ただけという可能性もある。

魔物は、魔物であるがゆえに、情けや容赦というものを持ち合わせていない。もっぱら狙われるのは、子どもや老人である。こうした「弱者」が狙われると、命を奪われる可能性が高い。だが弱いものばかりが餌食となるのではなく、屈強な若者が狙われることもある。もっともその場合はせいぜい酷い頭痛や倦怠感に襲われるだけで済む。魔物に襲われた時に生死を分けるのは、単純に体力の寡多である。そして襲われた場合には、適切な処置を行う必要がある。

魔物を追い払う方法はいくつかあるが、そのうちの1つは、水と塩を用いる方法だ。この方法は、水と塩、それぞれがもつ「邪を祓う」力を掛け合わせることで、効果を飛躍的に高め、魔物を撃退するというものである。水だけでも、塩だけでも不足であり、それぞれ単体で魔物と対峙したものが、餌食となる事例は後を断たない。方法は非常に簡単で、たくさんの水を飲み、その後適量の塩を舐める。たったこれだけのことで、魔物は近づけなくなるのである。世の中には予め水に適量の塩を溶かした、キリスト教的世界でいう「聖水」のようなものも売られている。聖水と大きく異なるのは、キリスト教的世界の聖水が神の奇蹟(あるいは祝福)により作り出されるものなのに対し、魔物に対処するための聖水は科学の恩恵により作り出されるという点である。そして、聖水と異なり、一定のレシピに基づいて作成すれば、誰にでも作成できる。つまり、誰しも魔物に対抗しうるのである。

魔物は、人を傷付け、殺めることを目的として生まれた存在ではない。人と、いや生き物の存在そのものと魔物の存在が相容れないために悲劇は起こるのである。魔物は魔物であるがゆえに、駆逐することはできない。我々にできるのは、ただ水と塩をもって、ひたひたと歩み寄る魔物から身を守ることだけである。ほら、あなたのすぐ後ろにも魔物は潜んでいる。

The Curry on the Edge of Forever


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「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も寝られず」という、ペリーが来航した際の世の慌てぶりを鋭く描写した狂歌がある。さして泰平でない人生でも週の初めは頭がぼんやりしがちだ。そんな頭をたった一杯で覚ますカレーがある。
しとしとと雨が降る中を、慣れた足取りで向かうカレー屋。以前は週に1度は食べずにいられなかったのだが、最近とんと足が遠退いていた。久しぶりに扉をくぐると、スパイスの香りが鼻をくすぐる。この時点で満足してしまいそうになるが、カレーは食べてこそである。メニューを見ると、チキンカレーがリニューアルしたとの記述がある。そして今週の週替わりカレーも魅力的である。そんな時どうしたらいいか。答えは単純明快である。ハーフ&ハーフを頼めばよい。
注文してしばらくすると、カレーが運ばれてくる。ライスが「A」の形に盛られているのは、ハーフ&ハーフだけの特権だ。まずはチキンカレーを一口。暴力的なまでにスパイスが利いていて、どこか危なっかしささえあった以前のチキンカレーに比べて、スパイシーさは失われていないものの、安定感のあるカレーに生まれ変わっていた。さながら、触れるもの全てを傷つけるのではないかというほどに荒れていたヤンキーが就職して家庭を持って更正したようである。安定感を得たものの魅力は微塵も失われていない。
そして、今週の週替わりのオレンジココナッツポークカレー。スパイスのトゲトゲしさがココナッツミルクで抑えられて、さらにオレンジの酸味が爽やかさを加えている。優しい味わいでありながらも、きちんとカレーであり、カレーライスである。「チキンカレーよ、いい伴侶を見つけたな」と親戚のおじさんのような気持ちで半分ずつカレーが盛られた皿を眺める。完全な一皿が、ここにある。
左右交互にカレーを食べ、さらに時折混ぜて食べる。カレーを混ぜるとき、それは足し算ではなく、掛け算となる。スパイスの掛け算だ。混ぜ合わせるカレーが異質であるほど、掛け算の答えは味わい深いものとなる。完全な一皿が、さらに二皿分、いや何皿分もの味わいを生む。そうか、人類もこうして歴史を紡いできたのだね。
食べ終えて空になった皿を前に、人の一生、いや人類の、地球の歴史を味わったような満足感を得る。ぼんやりした頭は時として、妙な回路で接続して思考する。そしてパチンとショートして目が覚める。カレーの一皿に、人類の歴史を重ねるなんて、正気の沙汰じゃない。

台湾彷徨その3

疲れ果てていればぐっすり眠れるだろう、という安易な予想は大きく外れた。相変わらず隣の部屋のシャワー音は大音量で聞こえ、犬は吠え、他の宿泊客の足音や話声は週末ということもあって昨晩よりも大きいくらいだった。

そして迎えた3日目の朝。通常の旅程であれば午前中は観光して、午後の便で帰国、となるのだろうが、朝9時発の便に搭乗することになっていたので、そんな時間的余裕は全くなかった。眠い目をこすって身支度を済ませ、チェックアウトしたのは午前5時半を少し回ったところだった。

早朝の西門の街は、まだ「昨日」を終えていない人が少なからずおり、その中を早くも「今日」を始めた自分が歩いて行く。そんな狭間にある街は妙に居心地が良くて、もう少しだけ歩いてみたい、できれば朝食でも、と思ったのであるが、飛行機の時間は決まっている。名残を惜しんで地下鉄の西門駅へ向かう。しかし、地下鉄の始発は午前6時過ぎであり、ここでもまだ「今日」は始まっていなかった。

動き始めた地下鉄に乗り、台北で桃園国際空港行きのMRTへ乗り換える。一昨日は探り探りだったが、今朝は迷うことなく乗り換えられた。MRTの車窓から朝の街を眺めようと思っていたのだが、足りない睡眠のせいからか、うつらうつらして、気付くと空港だった。チェックインカウンターに向かおうとすると、中華民国のものと思われるパスポートを持った人に何事か中国語で尋ねられる。"I can't speak Chinese."と答えると、少し驚いた顔をして、去っていった。

チェックインカウンターは早朝にも関わらずすでに混雑しており、列の最後尾に並ぶ。すると航空会社のスタッフが何事か中国語で尋ねてくる。唯一聞き取れたのは「茶巾」という言葉だったので、「茶巾?」と聞き返すと、また驚いた顔をされる。その後英語で説明を聞くと、「茶巾」に聞こえたのは"check in"で、窓口は混んでいるので自動チェックイン機を使って自分でチェックインしろ、とのことだった。思いがけずスムーズにチェックインできたので、搭乗までの時間を使って、朝食を摂ることにした。


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桃園国際空港の地下にはフードコートがあり、早朝から営業している店舗もいくつかある。その中から、台湾のローカルフードを扱っているお店を選ぶ。最後の晩餐ならぬ最後の朝食に選んだのは、魯肉飯。青菜のおひたしと、キュウリの漬物、白いニガウリのスープがついて、150元。昨晩食べた西門金鋒の魯肉飯よりも少し濃いめの味付けで、朝でもすんなり食べることができた。ニガウリのスープはやや薄味ながらも出汁がしっかり利いており、何よりニガウリの苦味が心地よい。

朝食を済ませて、出国手続きをする。いよいよこれで台湾ともお別れ、と思うと少し寂しくもある。もっと下調べしていれば、と思う場面が何度かあったが、何も調べなくても思いの外なんとかなるな、と思う場面はそれよりもたくさんあったので、差し引きすれば及第点の旅行であった。そんなことを思いながら、お土産売り場をうろうろしてみたものの、荷物の容量が限界だったので、何も買えなかった。今回の旅行の最大の失敗点は荷物を機内に持ち込めるバックパック1つにしてしまったことであるだろう。30リットルのバックパックでは、着替えとカメラと替えのレンズを何本か入れただけでほとんど余裕がなくなってしまう。荷物を増やせない、ということが足かせになる場面が少なからずあったので、次回以降は面倒でもスーツケースを用意すべきであろう。そして何より、液体の持ち込み制限のせいで、お酒を買えない。これは大問題である。幸いなことに、桃園国際空港では手荷物預りもセルフで行える機械が設置されており、待ち時間はほとんどなさそうだった。


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いくつかの後悔を抱えてロビーで待っていると搭乗時刻となる。バスで飛行機のそばまで運ばれ、乗り込む。通路側の席だったので、小さくなっていく陸地を眺めて感傷に浸るという時間はなかったが、日常へスムーズにランディングするためには、その方がかえって良かったのかもしれない。帰国便で供された機内食は、パン付きの唐揚げ弁当という、炭水化物の重ね食べメニューだった。「ライスは野菜だからヘルシーだよHAHAHA!」とでも言えば良いのだろうか。そんなことを思いつつ、ケチャップたっぷりの唐揚げを食べる。日本に帰ってきた。そう思える味だった。

2時間とちょっとのフライトで、中部国際空港に到着。入国審査の窓口を案内するスタッフに、恐る恐る「日本の方……ですか?」ときかれる。何もそんなに恐る恐るでなくてもよいのではないか。そう思いつつも久しぶりの日本語に安堵する。カタコトの英語でやり取りする必要はもうない。これからは愛すべき日常が続くのだ。せめて梅雨が明けるまでは、部屋にこもる休みにしよう、そう決意を新たにして、短い旅行は幕を閉じた。