苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

台湾彷徨その2

敗北をビールで流した翌朝。目覚めは決して良いものではなかった。愛すべき四畳半的な部屋は、廊下を人を通ればその音が、隣室がシャワーを使えばその音が、まるで壁などないかのような音量で聞こえてくるのだ。さらに、どういうわけか、深夜に部屋の目の前で犬が鳴いている声が聞こえてきた。そんな騒音の中で熟睡できるはずもなく、うつらうつらとして、気がつくと朝だった。


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そんなホテルであるが、なんと朝食付きのプランであったので、あまり期待せず食堂に下りる。どうせ薄いパンと薄いコーヒーだろうと思っていて、その通りであれば外で食べようと決めていたのであるが、なんとビュッフェ形式であった。しかも、メニューは中華風のものと洋食風のもの合わせて8種類程度はあり、主食もパンとお粥を選ぶことができるという、とても防音に乏しい四畳半的な部屋のホテルの朝食とは思えない。おかずを何種類かとお粥を選んで食べていると、他の宿泊客も続々と食堂にやってくる。皆一様に中国語を話しているので、当然お粥を食べるものだと思っていたのだが、ほぼ全員がパンを選んでいた。中国文化圏の朝食といえば、お粥か油条というイメージがあったが、必ずしもそうではないようである。

朝食を済ませて、向かった先は故宮博物館。西門から士林まで地下鉄、そこからバスで20 分ほど。士林のバス停に着くと、ほどなくしてバスがやって来る。するとバス停にいた人たちが一斉に手を挙げて、バスの方へと走り寄っていく。一瞬、面食らうが、何事もなかったかのようにバスは停まり、人々は何もなかったかのようにバスに乗り込む。その後ろに続いて、バスに乗り込む。そこでふと気付いたのは、バスの乗り方をよく知らないということであった。日本国内でも会社によって乗り方が違って戸惑うことがあるというのに、全く下調べもしないでバスに乗るとは、我ながら大胆なことをしたものである。バスの中で調べると、故宮博物館行きのバスは、前後どちらから乗ってもよく、乗車時と降車時にICカードをリーダーにタッチするとのことであった。ついでに乗車時にはバス停で手を挙げるなどして乗るアピールをしないと素通りされることがあるそうで、多少大げさなくらいにアピールするのが良いらしい。とはいえ、先ほどのアピールの仕方は大げさすぎるようにも思えるのだが、その結果としてバスに乗ることができている以上、文句は言えない。


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20分ほどバスに揺られて、故宮博物館に着く。バス停を降りて建物に入って、チケット売り場を探すも、見当たらない。ミュージアムショップや郵便局、団体用の窓口はあるが、個人客用のチケット売り場はない。自動券売機が1台だけ置かれていたので、しぶしぶそこでチケットを買う。そこで気付いたのは、ここは1階ではなく、地下1階であるということだ。エスカレーターを上ると、そこにはチケット売り場がちゃんとあった。入り口のリーダーにチケットのQRコードを読み込ませて、いよいよ入場。入ってすぐ目に飛び込むのは、3階まで吹き抜けのホールと、大きな階段。そこから左右にいくつも展示室が並んでいる。朝一番のタイミングを狙って入館したものの、すでに団体客が何組もおり混雑していた。


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1階は仏教美術清朝の王府の家具類の展示。ふくふくとして、穏やかな顔の仏様の立像があり、何だか他人とは思えず、しばらく前に立って眺めていた。幸い、その間他の人は来なかったが、来ていたら、拝まれていたかもしれない。清朝の家具類の展示コーナーでは王府の書斎が再現されていたが、家具の存在感がとても重厚で、座っているだけでも押し潰されてしまうのではないかと思われるほどであり、この存在感に耐えられるほどの人物でなければ皇族は務まらないのであろう。


f:id:tnkponpoko:20190715192038j:imagef:id:tnkponpoko:20190715192047j:imagef:id:tnkponpoko:20190715192113j:imagef:id:tnkponpoko:20190715112859j:image

中国という国の歴史の重みを感じながら2階に上がると、そこは陶磁器類の展示コーナーである。宋代の青磁から、明代・清代の色鮮やかな陶器まで、所狭しと並んでいる姿は壮観である。ツアーの団体客が足早に展示を眺めて去っていくのを尻目に、一品一品じっくりと鑑賞する。発色の美しさに息を飲んだり、絵付けの細かさに驚嘆したりしていると、チベットで作られた、梵字が書かれた茶碗があった。この器でお酒を飲めば、飲むほどに功徳を積めるのではないかと邪な考えがよぎる。しかしチベットには水力で回転して功徳を積んだことにし続けるマニ車もあるという。人力でなんとかしようとしている点で、それよりは邪というか横着ではない。と思いたい。


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2階では企画展も開催されていた。題して「故宮動物園」。てっきり広大な故宮博物館の敷地に、新たに動物園がオープンするのだと思っていたのだが、そうではなくて、収蔵品の中から動物が描かれた絵画を選び出して展示するというものであった。実際の動物の写真もあわせて展示されており、絵画がどうデフォルメされているかを比較しながら鑑賞することができる。このコーナーは団体客の見学ルートからは外れているようで、陶磁器コーナーの混雑ぶりが嘘のように静かであった。見ごたえがないか、というとそんなことは全くなく、見終わった後には、動物園に行ったかのような満足感があった。特に耳からふさふさした毛がはみ出しているライオンの絵は必見である。


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続いて3階に上がる。金属器と玉器のコーナー。中国という国が古代からいかに玉器を愛してきたか、ということがすさまじいボリュームで展示されている。ヒスイ製の矢尻に始まり、水差しなど、何もそこまでしなくても、というレベルに削った玉器が目白押しである。特に、玉器でありながら、陶器のような透け感を実現するという執念は恐るべきものである。陶磁器は明代・清代のものが中心であったが、金属器や玉器は古代の王朝のものが中心である。3000年以上前の夏や商(殷)の時代の遺物が実際に目の前にあるという事実は、歴史の大きな流れの中に自分もいるということを改めて感じさせるものであり、壮大なスケールに少しめまいがするほどであった。


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そして同じフロアには、故宮博物館最大の見どころである「翠玉白菜」と「肉形石」も展示されている。展示室は入れ替え制で、列に並ばなくては鑑賞することができない。となると、長蛇の列を覚悟せねばならないところであるが、タイミングが良かったのか、列はほとんどなく、5分程度の待ち時間で展示室に入ることができた。「翠玉白菜」も「肉形石」も、どちらも原材料の見た目がそれぞれ白菜と東坡肉に似ているから作ってみました、という食いしん坊万歳な発想で作られたのではないかと思われるが、思い付くのは容易くとも、実現するのは大変に難しい。それを実現し、「翠玉白菜」には葉についたバッタまで再現するというのは、恐るべき食い意地の為せる業だ。とはいえ、そんな至宝も、後から後から人が押し寄せてくるので、じっくりと見ることはできず、「おいしそう」という食いしん坊丸出しな感想が出てくるばかりで、展示室を後にすることとなった。


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一通り展示を見終わったところで時計を見ると、12時少し前であった。「おいしそう」という感想しか出てこないのも仕方がない時間なので、博物館の敷地内にあるカフェ「富春居」で昼食。本館から離れているので、全く人気がなく、少し心配になるが、空腹には勝てず、恐る恐る店に入る。席に案内されて、メニューを渡されたので、席でオーダーするのかと思いきや、レジのところで注文して先に代金を支払うスタイルだった。昨夜のリベンジということで牛肉麺を注文する。トラウマを克服するには、同じことをするに限る。その結果悪化するということもままあることではあるのだが、今回は、克服に成功した。おいしい牛肉麺でお腹が満たされた後は、ミュージアムショップを冷やかす。これでもかというほど白菜と東坡肉グッズがあれこれ並んでいる。中には「朕は汝臣に銀一千両を下賜する」というようなことが書かれたポチ袋があったり、自由すぎるラインナップで、見ているだけで迷ってしまう。その中から白菜ボールペンを購入し、士林駅行きのバスに乗る。まだ昼過ぎだ。今日という日はまだ長い。


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士林駅から地下鉄に乗り、雙連駅で下車。向かう先は迪化街。台北の下町で、乾物屋さんがたくさん並んでいるところ、らしいという前情報で向かう。雙連の駅から徒歩20分ほど。途中、昨晩苦杯を嘗めた寧夏夜市の近くを通る。昼間に通るとまた雰囲気が違って面白い。蒸し暑さでひいひい言いながら迪化街にたどり着くと、一帯に漢方薬のような匂いが漂っている。スルメやキクラゲなどの乾物に加え、日本ではあまり見かけない漢方の原料になりそうなものだったりがそこかしこの店先に並んでおり、それが一帯の匂いを生んでいる。呼吸をするだけでどことなく健康になりそうな街を歩く。店先の乾物よりも、目を惹かれたのは、周囲の建物だった。いかにもアジアな感じの雑居ビルに混じって、100歳近いのではないかと思われる建物がそこかしこに残っているのだ。大正時代の日本もこのような景色であったろうかなどと考えながら歩くが、どうにもこうにも蒸し暑くて敵わない。

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どこかで冷たいものでも、と思っていると、「孵珈琲洋行」という大正時代から抜け出してきたような名前の喫茶店があったので、入ってみる。内装も大正時代を思わせるレトロさであったが、中で供されているコーヒーは台湾では珍しいスペシャルティコーヒーであった。入るなり、バリスタさんからコーヒーについて中国語で説明を受ける。言っているであろうことは何となくわかるのであるが、どうしたものかと思っていると、中国語話者ではないことを察してくれたのか、英語で説明してくれた。世界各地のコーヒー豆に加えて、台湾産のコーヒー豆も取り扱っていたので、阿里山の浅煎りを注文する。暑い暑いと思っていたのに、ホットコーヒーを頼んでしまったことを少し後悔したが、幸いなことに店内は冷房が効いており、一息つくと汗も引いたので、温かいコーヒーをのんびり飲む。クセがなく、とても飲みやすいコーヒーである。日本でももっと出回ればよいと思うのだが、生産量等々の問題で難しいのだろう。台湾国内でも希少価値がついているようで、他国の豆よりも高めに設定されていることが多いように見受けられた。


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冷房とコーヒーですっかり元気を取り戻して、再び散策を開始する。近くに船着き場があるようだったので、行ってみる。淡水河という、そりゃあ川だから淡水でしょうよという名前の川の船着き場だ。観光船が発着しているようで、客引きのおじさんが「まもなく出航だよー!」というようなことを威勢よく叫んでいる。乗ってみるのもいいかと思ったが、もうすこし迪化街をうろうろしたかったので、河を眺めるだけにしておいた。再び迪化街に戻る。先ほどは歩いていない界隈へと足を向けるが、相変わらず乾物屋さんがずらっと並んでいる。店先を冷やかしながら歩いていると、突然寺院が現れる。霞海城隍廟だ。地元の守り神様が祀られているとのことで、参拝しようと思ったが、方々で神様に頭を下げていては、日本の神々がヘソを曲げるかもしれないというよくわからない心配から、遠巻きに眺めるだけにした。線香を捧げ持ち、熱心に祈りを捧げる人々の姿を眺めるのは、それだけで心が洗われるようである。霞海城隍廟まで来て、さて次はどうしようかと考える。この先のことは考えていなかったのだ。悩んだ時は歩きながら考えるのが良い。幸いなことに台北の駅までもさほど遠くはない、ということで歩き始める。思えばここが後の悲劇の発端であった。

迪化街を抜けても古い建物はちらほら残っており、それを眺めながら歩く。ひたすら歩く。途中で台北駅の地下街の入り口を見つけたので、そこからは地下を歩く。地下街のY区はオタクカルチャーの集積地のようになっており、何らかのイベントが開催されていたようでもあり、コスプレイヤーが何人もいた。地下街に降りて予想外だったのは、思いの外冷房が効いていないことである。外よりは幾分マシではあるものの、暑い。そして人が多いからか、何となく頭がぼんやりしてくる。そして、駅まですぐかと思ったものの、そんなことはなく、地下街を延々歩くことになった。ぼんやりした頭で歩いて、同じ場所をぐるぐる回っているだけではないかという不安に囚われていると、ようやく台北駅に到着する。歩きながら考え出した次の行き先は永康街だった。


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台北から地下鉄に乗り東門駅で下車。歩くとすぐに永康街に到着する。グルメもお土産もなんでもござれな界隈とのことだが、お腹も空いていないし、荷物もあまり増やしたくないというワガママぶりを1人で発揮し、あてもなくうろうろ歩いていると、路上でポン菓子を売っている人たちがいた。が、タイミングよく「ポン」の瞬間に立ち会える訳もなく、機械を眺めるだけであった。その後もうろうろ歩きまわり、大通り沿いに名古屋が誇る「矢場とん」のお店があるのを見つけ、立ち止まる。そして右手に目をやると台北101がそびえたっているのが見えた。地下鉄で4駅ほどの距離である。歩いていけないことはなさそうだと判断したのは、暑さで頭が回らないせいなのか、霞海城隍廟で神々に挨拶しなかったからなのか。とにかく歩き始めてしまったのだ。30分もあれば着くだろうと思っていたのだが、30分歩いてようやく1駅というペースであった。途中で地下鉄に乗るという選択肢もあったのだが、途中で投げ出したくないというよくわからないプライドが邪魔をして、とにかく歩き続けることにした。途中、街並みが整っているエリアと、雑然としていて食堂があったり、露店が出ているエリアと、交互に現れて面白いなあなどと思いつつも、一向に到着しない。ようやく到着したのは、歩き始めて1時間半以上経ってからで、すでに日は傾いていた。



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101階建てなので台北101という、かつて浅草にあった十二階(凌雲閣)を彷彿とさせるネーミングの構想ビル。ところどころに雲の意匠が施されており、まさに現代の凌雲閣と読びたくなるところである。商業棟の地下にはフードコートがあるとのことだったので、重い脚を引きずって、地下に下りる。空腹と疲労とで、お店を真剣に選ぶ気力すらなく、とにかく肉っぽいものが食べたい、という本能の赴くまま、肉っぽいご飯を提供しているお店を選ぶ。後に調べてみるとHawker Chanというシンガポールミシュラン一つ星を獲得したというお店であった。ここへきて台湾の料理ではないが、日本では食べられないもの、しかもミシュランの星付き料理が日本円で1000円に満たない価格で食べられたので、よしとしたい。そして、疲れた身体に甘みの効いたお肉と炭水化物はたまらない。一息ついたところで、お土産を買おうという気になった。さすがに何も買わずに帰る訳にはいかない。フードコートと同じフロアにお菓子類を扱うお土産コーナーがあり、しかも複数社の商品を取り扱っている。価格と数量を比較しながら買うのに最適な場所である。そして何より試食が可能であるため、安かろう悪かろうな商品を引く心配がない。あれやこれやと試食して、裕珍馨のものにした。

お土産を買った後は台北101の商業棟をうろうろする。世界に名の知れたハイブランドの店が軒を連ねる中を歩くのは、それだけで何となく居心地の悪いものであったが、折角なので、ということで一通り歩く。当然ながら、何も買わずに見終えてしまい、地下鉄の駅へ向かう。さすがに帰りは歩く気力も体力もなく、地下鉄で西門駅へ向かう。


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夕飯を食べて、少し体力が回復したものの、やはり疲れているので、さっさと寝たいところであったのだが、どういう訳か、もう少しだけ歩きたい気分になり、西門の街をうろうろする。歩いていると、ビルの谷間に突然立派な寺院が建っていた。境内に入ると、外の雑踏が嘘のように静かで、熱心に祈りを捧げている人が何人もいた。その様子を眺めながら、この旅も終わりに近付いているという感傷に浸る。ひとしきり浸ると、先ほど夕飯を食べたばかりなのに、お腹が空いてきた。このまま寝るという選択肢はないだろう。ポケットからスマートフォンを取り出す。


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西門では西門金鋒の魯肉飯を食べるべきとのことだったので、それに従う。店に着くと、さすがに人気店であるので、外まで並んでいる。一旦店に入って、オーダーシートを受け取る。記入した後はお店の人に渡して、自分の番がくるまで待つ。これらをカタコトの英語でやり取りするのもこれが最後かと思うと、少ししんみりする。しんみりしても腹は減る。しばらくして店内に通されるとすぐに魯肉飯が運ばれてくる。そして、なんとなく後ろめたさから頼んだ青菜のおひたし。本日二度目の夕飯にも関わらず、あっという間に食べ終えて、店を出る。お腹も満たされたし、疲労感もたっぷりだし、今日はしっかり眠れるだろうか。そんな淡い希望を持って、愛すべき四畳半的な部屋に戻る。夜はまだまだ長いが、今夜はここまでである。スマートフォンで今日の歩数を確認すると3万歩を超えており、総歩行時間は6時間近くに及んでいた。

台湾彷徨その1

生来出不精な私であるが、時折遠くへ旅に出たくなることがある。今回の旅もそんな発作的なものの産物であった。

発端は、改元の乱痴気騒ぎが終わり、人々が10連休というはかない夢から覚めた5月中旬にさかのぼる。連休中、ほとんど家から出ずにいた反動からか、頭の中でもう1人の自分が「台湾に行きたいわん!台湾に行きたいわん!」と叫びながら、ヘンテコなダンスをしていた。いつもであれば、無視してしまうところであるが、このときはなぜか、一緒になってヘンテコなダンスをしてしまった。そして、気がつくと、台湾行きの航空券とホテルを予約していた。

それからおよそ1ヶ月半。旅行代金も支払って、行くより外ない状態であったにも関わらず、全く下調べも準備もしないままで、出発の日が近づいていた。さすがにノープランではいけないだろうとガイドブックを買ったのが、出発1週間前。そこからざっくりとしたプランを立てて、出発当日の朝に大慌てで荷造りをするという、まったくもってやる気が感じられない旅立ちであった。

中部国際空港から桃園国際空港へ。どんなにやる気のない人間であっても、飛行機は分け隔てなく運んでくれる。約2時間半のフライトで、無事に到着。入国の手続きよりも先に、スマートフォン用のプリペイドsimカードを契約。3日間通信し放題で350元。ノープランに近い旅ではインターネットに接続できる端末が命綱となる。お金を払って、simカードを入れ換えるだけで、あっという間にスマートフォンがインターネットにつながる。文明の素晴らしさを誉め称えたくなる瞬間であった。

しかし、この窓口では、旅の先行きを不安にさせる出来事もあった。日本語が通じないのである。カタコトの英語でやり取りしてなんとかしのいだものの、この先も思ったより日本語は通じないのではないか。そんな予感がよぎった瞬間であった。そしてその予感の正しいものであった。

出国手続きもぎこちない英語で済ませ、台北市内行きのMRTの切符もぎこちない英語で買い、どうにかこうにか電車を乗り継いで、滞在中の拠点となるホテルがある西門にたどり着く。飛行機の遅延等々もあって、西門に着いた時点ですでに日は沈んでいた。幸い、繁華街であったので、あちこちに街灯やらネオンやらがあって、大きな通り沿いは明るかった。しかし、ホテルがあるのは、繁華街から一本入った路地裏であった。薄暗い路地に恐る恐る入っていくと、寂れ具合がなんとも素晴らしいビルが建っていたので、思わず写真を撮る。すると、ビルの前に立っていた若者がこちらに向かって、物凄い剣幕で何かまくし立ててくる。恐らく「何撮っとんじゃコラ」というようなことを言っていたと思うのであるが、中国語は理解できないし、その若者を撮っていた訳でもないので、申し訳なく思いつつも、目を合わせないようにして、足早にその場を去る。しばらく歩いても追いかけてくる気配はなかったので、胸を撫で下ろすと、ちょうどホテルの看板が目に入った。路地裏からさらに入った場所にあったので、大丈夫だろうかと思ったが、入ってみると、内装はとてま綺麗だった。「ニーハオ」とぎこちなく挨拶すると、「あー、日本の方ね」と、日本語が返ってきた。パスポートを見せて、「日本語で」チェックインの手続きをし、部屋のキーを受け取る。部屋は2階とのことで、エレベーターで上がり、部屋に入る。


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四畳半に仕切りをつけてユニットバスを無理矢理詰め込んだような部屋だった。どうせ寝るだけの場所なので、立地を考えたら十分すぎるほどの部屋ではあった(冷房完備、テレビ付き)が、次に来ることがあったら、もう少しいい部屋に泊まろうと決意した瞬間でもあった。

何はともあれ、無事にチェックインできた訳であるが、そうすると猛烈にお腹が空いてくる。出発前に立てたラフなプランでは、初日の夜は寧夏夜市に行くことにしていたので、スマートフォンを操作して地図を確認する。地下鉄で数駅の距離であったので、カメラと財布を持って、出かける。恐らく日本にいたら、こんなときはもう面倒だからコンビニ飯で済ませてしまおう、となるところなのだが、今回は不思議と外出したくなっていた。


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地下鉄を中山駅で降り、歩いて寧夏夜市へ。道の真ん中に屋台がずらっと並んでいる様子は、さながらお祭りのよう。これが毎日続いているというのは、日本ではちょっと考えられないな、どと考えつつ、屋台を眺めて歩く。威勢よくホテルを出たものの、いざ屋台の前に来ると、何を食べようか決めきれない。ここへ来て優柔不断ぶりを遺憾なく発揮するというあまりありがたくない状況である。複数人で来ていれば、あれやこれや買ってシェアするという手もあるのだろうが、あいにくと今回は胃袋は1つしかない。散々悩んだ挙げ句、屋台ではなく、常設のお店に入ることにし、そこでも散々悩んで、牛肉麺と魯肉飯を注文した。「台湾はだいたい何を食べてもおいしい」という考えがあったので、深く考えずお店を決めたものの、このお店の料理は何となく口に合わなかった。とはいえ残すは信条に反するので、平らげて、店を出る。その後も夜市をうろうろとしてみたが、満腹感と「またハズレを引くかもしれない」という恐怖感が邪魔をして、結局お店を冷やかすだけで、ホテルに戻ってしまった。台湾初日は、圧倒的敗北感と共に幕を閉じた。そんな夜は、ビールで流してしまうに限る。


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月に行った男

たかしへ

父さんは今、月にいます。たかしは信じないかもしれないけど本当に月にいます。死んでしまったことをオブラートに包んで言ってるとかじゃないからな。父さんは生きています。来月には帰ります。

たかしも知っていると思うけれど、月には酸素がありません。酸素がないということは、紫外線を遮るものがないということです。それはとてもお肌によくないことなので、日焼けしないように父さんはずっと宇宙服を着ています。母さんにも月へ来ることがあったら、紫外線対策をしっかりしてさらに宇宙服を着るように言っておいてください。油断したらシミだらけになっちゃうからな。

そして、月にはウサギがいます。しかもたくさん。そこら中で、毎日毎日餅をついています。だから父さんたちは毎日つきたての餅を食べています。お正月なんか比べものにならないくらい、ずっと餅ばかり食べています。しかも月は重力が小さくて、運動も全然できないから、体重がどんどん増えています。たかしや母さんのところに帰るころには、誰かわからないぷくぷくになっているかもしれないな。でも地球の重力の下で運動したらすぐに痩せると思うから、安心してください。

それから、月にはカニもいます。知らなかっただろう?ズワイガニが毎日どこからともなく湧いてでてくるので、捕まえて茹でてみんなで食べています。でも父さんは甲殻類アレルギーだから、カニとかエビとかいても食べられません。父さんの友達の山中さんは来る日も来る日も餅とカニを交互に食べては、「盆と正月がいっぺんに来たみたいだな。」と言っています。山中さんのところには、もう一生分の盆と正月が来てしまったと思うので、地球に帰っても盆と正月は抜きです。たかしも宿題をちゃんとやらないとおやつ抜きだぞ。

お土産には「萩の月」を買って帰ります。月じゃなくて仙台にいるんじゃないかって?「萩の月」はもともと月の銘菓なんだぞ、よく覚えておけよ、たかし。工場のおじさんが仙台出身で、月のお土産に、って毎回買って帰省していたら、いつの間にか仙台のお菓子屋さんが真似して作りはじめたらしい。「地球のもんはすぐ自分とこのものにしたがる!」っておじさん怒ってたぞ。たかしも他人のもの取ったりしたらダメだぞ。おじさんに怒られちゃうからな。父さんと母さんも怒るし、悲しむ。でもな、父さん、本当はお土産のお菓子類だと「博多通りもん」の方が好きなんだ。これは、たかしと父さんだけの秘密だぞ。おじさんに怒られちゃうからな。

そろそろ通勤の乗り合い牛車が来る時間なので、今日はこのあたりにしておきます。父さんが帰るまで、母さんと仲良く暮らしてください。

月面より愛を込めて

父さんより

 

 

Alternative Factor

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牛丼屋は殺伐としているべきであると、かつてある人が言った。世の中全体が殺伐としているこの時代に、食事をする時くらいは殺伐から逃れたいと思うのは、贅沢だろうか。そんなことを考えながら、牛丼屋のカウンター席に腰かける。注文は、牛丼ではなく、カレー。創業当時のレシピを再現したという謳い文句のビーフカレーだ。

注文して5分も経たないうちにカレーが運ばれてくるのは、流石牛丼屋と言ったところだろうか。期待と共にスプーンを手に取る。

口にいれてまず最初に感じたのは甘さ。野菜も牛肉も正体がなくなるくらいぐずぐずに煮込まれているので、旨みと絡み合った甘みが口いっぱいに広がる。そこで油断してはいけない。これはカレーなのだ。甘みのすぐ後を辛さが追いかけてくる。チェーン店のカレーで、万人向けであるがゆえに、スパイスの香りは控えめだ。しかし、辛さはそこまで控えめではない。甘みで緩んだ舌をビリビリと唐辛子の辛さが刺激する。その刺激が心地よい。
しかし、カレーは辛ければそれでいいのか?答えは否である。チェーン店のカレーだから、と妥協するにしても、やはりもう少しスパイスの香りがほしい。どうしたものかと考えを巡らせていると、カウンターの上の紅しょうがに目が止まる。紅しょうがの酸味と香り。これがカレーに加わったらどうだろうか。恐る恐る試してみる。牛丼用の紅しょうがなのでカレーを台無しにしてしまうかもしれない。そんな恐れは一口含んだ瞬間に吹き飛ぶ。生姜の香りがふわっと広がり、カレーの甘さと辛さもさらに奥行きが広がる。あたかも最初からこうするべきであったかのように、カレーと紅しょうがはぴったりと合った。その後は、紅しょうがあり、紅しょうがなし、紅しょうがあり、紅しょうがなし、と交互に食べ進める。

そして、至福の一時はすぐに過ぎ去ってしまう。ほどよい満腹と、からっぽになった皿を前にして、付属の味噌汁はどのタイミングで飲むべきだったのかを考える。そう、どのメニューにも漏れなく味噌汁がついてくるのだ。カレーで得た満足感を押し流すように味噌汁をすすって、店を出る。次は最初に手をつけておこう。そう決意して見上げた空は、梅雨とは思えないほど爽やかに晴れ渡っていた。

ドーナツの穴の行方

穴があったら入りたい。そんな気持ちになることが、誰しも一度はあるはずだ。しかし、そう都合よく穴があいていることなどめったにない。隠れるのに都合がいいかは置くとして、常に穴があいている場所がある。それはドーナツの中心だ。

ちくわやバウムクーヘンにも穴はあいている。しかし、その穴とドーナツの穴の性質は異なる。ちくわやバウムクーヘンは、製造時に芯となる棒が差し込まれていたことによるものである。しかし、ドーナツには芯となる棒は存在しない。それにも関わらず、穴はあいている。芯が必要ないのであれば、クッキーのように板状にしたり、サーターアンダギーのように球形にしたりしてもよいはずだ。サーターアンダギーをはめこんで、完全体のもさもさした食べ物を作るための穴という説も頭をよぎるが、そもそもヨーロッパと沖縄では距離が遠すぎる。第二次世界大戦後に沖縄に進駐した米軍がドーナツとサーターアンダギーを組み合わせた完全体を考え出し、それが伝播する過程でどちらかが欠落し、ドーナツとサーターアンダギーが誕生したのであれば、不思議ではないが、どちらも第二次世界大戦よりもずっと前から存在している。つまり、ドーナツの穴は何かをはめこむためのものではないのだ。

サンドウィッチマンというコメディアンが提唱する理論によれば「カロリーは中心に集まる性質があるため、ドーナツはカロリーゼロ」となる。しかし、この理論を鵜呑みにすることはできない。何故なら、この理論では中心に集まったカロリーの行方が示されていないからである。仮に中心部にカロリーが残ったままになるとすれば、穴だけを食べればカロリーが摂取できることになる。ところが、現実には穴を食べてもカロリーは摂取できない。穴は穴であり、虚無である。

ならば、中心に集まったカロリーはどこへ消えたのか。ひとつの仮説ではあるが、中心に集ったカロリーは、集積することで熱量を指数関数的に増大させ、最終的には小さなブラックホールのようなものになるのではないか。そのミニ・ブラックホールが完全な円盤状のドーナツの中心部を崩壊させ穴を形成する。つまり、ドーナツの穴はただの虚無ではない。光さえも脱出不可能な完全なる虚無である。

しかし、ドーナツの穴を覗いたとき、反対側を見ることができる。これは何故か。ブラックホールは空間さえも歪める穴である。空間が歪み、別次元(あるいはパラレルワールド)の同じ座標へとつながる穴ができるのである。つまり、ドーナツの穴越しに見る世界は、穴のこちら側とは別の世界である。だが、穴の向こうにも世界は確かに存在している。

そして、ドーナツの穴を覗いたときに、真理をささやく声が、向こうの世界から聞こえるだろう。「ドーナツの穴は生地を均一に加熱するためのものである」と。

NGY大学不思議譚④学園祭を歩く幽霊

6月上旬。そろそろ梅雨の足音が聞こえてくる時期であるが、大学内はそわそわしている。それもそのはず、6月の最初の週末にはN大祭が開催されるのだ。もともとは、他の大学と同じく秋の開催となるはずだったのが、第1回の開催直前に伊勢湾台風が上陸し、東海エリアに甚大な被害が出たことから、翌年の6月に延期となり、以降もこれにならって6月開催となったそうだ。

NGY大学に入学した学生は最初のN大祭で、仮装して名古屋の繁華街を練り歩くという試練を課される。それも基本的には全員参加である。かくいう私も1年生の時には馬のお面を被って参加したのだが、沿道の人たちから向けられた可哀想なものを見る目が忘れられない。

多くの学生にとって、そんな苦い思い出から始まるN大祭であるが、部活動やサークルに参加している学生にとっては、模擬店を出店して活動資金を稼ぐという重要な場となる。中には販売ノルマを設定されるところもあるようで、私の数少ない友人である花田さんが所属するフィーエルヤッペン同好会もそんなサークルのひとつである。

学園祭の前夜祭が開催される日、図書館で「カブトムシ相撲」のオフィシャルルールについて調べるべく、『昔の遊び図鑑』なるものを広げて閲覧席で読んでいると、花田さんがやってきた。

「N大祭、来るよね?うちの同好会でオランダ風フライドポテト売るんだけど、前売り券買わない?買うよね?なんなら5枚くらい買うよね?」

凄まじい勢いの押し売りを受けて、「えー」とか「うー」とか言っていると、

「仕方ない、2枚で手を打ってあげよう。500円ね。」

と畳みかけるように言われる。もはや断る余地はない。財布から500円を渋々取り出して花田さんに渡す。

「毎度あり。前売り特典で当日10%増量するからね。いやー、いい買い物したね。」

さも当然というような表情で受け取る花田さん。10%って、誤差の範囲に収まるくらいじゃないだろうか。なんだか悔しかったので、他の人を巻き込むことにした。

「そういえば、二菱くんがフライドポテト食べたそうな顔してたから、前売り券買ってくれると思うよ。」

二菱くんは同じ講義を受けている工学部の学生で、日ごろから花田さんのことを「天使だ」とか「女神だ」とか言って褒めそやしているいる。二菱くんは花田さんに会える、花田さんは前売り券を捌ける、そして私のむしゃくしゃした気持ちも晴れる、まさに「三方よし」な提案で、我ながら感心してしまう。

案の定、花田さんは目を輝かせて、二菱くんを探しにどこかへ走っていった。これで落ち着いてカブトムシ相撲のルールが調べられると思った矢先、今度は常磐くんがやってきた。そしてニヤニヤした笑みを浮かべながら、こう切り出した。

「何年か前にN大祭で食中毒が出たの覚えてる?」

当時小学生だったと思うが、名古屋ローカルの朝の情報番組で大々的に報じられたので覚えている。

「100人近く被害者がいたんだけど、その中にもともと重病で入院していたのをどうしてもって病院に頼み込んで外出させてもらった女の子がいたらしいんだよね。で、その子、食中毒で体調が悪化して亡くなったっていうんだけど、そういう話聞いたことある?」

報道では死者が出たという話はなかったように思うが、何分昔の話なので、記憶が曖昧だ。そこで文明の利器に頼ることにした。スマートフォンで「N大 食中毒」と検索する。やはり死者が出たという話は出てこない。

「報道されなかったのは、模擬店出してたのが、名古屋の政財界の大物の息子で、各所働きかけてもみ消したからっていう話で、病院にも圧力かけて、食中毒と亡くなったことの因果関係はないって診断書を書かせたらしいよ。」

初めて聞く話ではあるが、ありえない話ではないように思える。名古屋には意味がわからないくらいレベルのお金持ちがいるときくし、そういった人達であれば、当然あちこちに顔が利くだろう。子どもの不祥事を揉み消すくらい訳ないはずだ。

「で、その亡くなった女の子なんだけど、明らかに食中毒が原因で亡くなったのに、関係ないことにされたのが無念で、幽霊になって、毎年N大祭の会場内をさまよい歩いてるらしいんだよね。だから、捕まえるの手伝ってよ。捕まえたら見世物にしようと思ってるんだよね。」

常磐くんが妙なことを思いついてはお金儲けしようとしているのは知っていたが、ゴーストバスターズの真似事までしているとは、ケッタイな。どうせフライドポテトをもらいにN大祭には行かなければならないし、そのついでに常磐くんに協力することにした。

「じゃあ、土曜日の10時に講堂前の特設ステージのところに集合ということで。タモとか持ってたら持ってきてね。」

タモなんて持っていなかったが、帰りに本山駅の上にある100円ショップを覗いたら、売っていたので、買っておいた。ついでに虫かごと麦わら帽子も買った。どう考えても幽霊よりカブトムシを捕まえるのに適した装備だが、これでよしとする。幽霊がいなかったらカブトムシを捕まえて、カブトムシ相撲大会を開けばいいのだ。

 

そして当日。10時少し前に行くと、常磐くんはすでにいた。彼はツナギを着て、なぜかスティック型の掃除機を持っていた。「幽霊捕獲の正装」とのことだが、ゴーストバスターズが持っているアレは掃除機ではないし、仮に掃除機であったとしても、スティック型ではない。ゴーストバスターズというよりむしろ、清掃スタッフに見える。というか、清掃スタッフにしか見えない。

かくして、清掃スタッフと虫とり少年という奇妙な二人組でN大祭を回ることになった。メインストリートの模擬店を冷やかしながら、うろうろする。歩くのがやっとというほどの人混み。奇妙な格好の人間が2人紛れ込んでもまったく気にもされない。ということは、幽霊が1人くらい紛れ込んでいても誰も気付かないだろう。だが、「幽霊が出る」と噂が立つからには、何かしら特徴があるはずだ。例えば、透けているとか、顔色が悪いとか。

そんなことを考えながら、人混みを進んでいると、いつの間にか常磐くんの姿が見えなくなっていた。人の多さを考えれば無理もないことであるが、1人になってみると今度は虫取少年みたいな格好をしている自分が急に恥ずかしくなって立ち止まる。そしてそんな時に限って知り合いに見つかるものだ。私が立ち止まったのはフィーエルヤッペン同好会のオランダ風フライドポテトの模擬店の前で、ちょうど花田さんが客引きをしているところだった。

「バカみたいな格好してどうしたの?」

凄まじい球威のストレートを放る花田さん。常磐くんと幽霊を捕まえに来たのだと話すと

「バカな格好してバカなことしても、マイナスとマイナスを掛けたらプラス、みたいなことにはならないよ。」

と憐れみのたっぷりこもった視線と共に言われた。ぐうの音も出ない正論に、なんだか悲しくなったので、前売り券をフライドポテトと引き換える。悲しい時はカロリーを摂るに限る。

どう考えても10%増量されていると思えないフライドポテトを2つ手に持って、人の少ない図書館裏の方へ向かい、木陰に座る。そしてフライドポテトを頬張る。どのあたりがどうオランダ風なのかはわからないが、とりあえずカロリーたっぷりな味がする。それを2つとも平らげたところで、思い出す。そういえば常磐くんはどこへ行ってしまったのだろう。

きょろきょろと辺りを見回してみたが、そもそも人がいない。メインストリートの人混みを考えると、このエアポケットのような空間はとても奇妙だ。それこそ幽霊でも出そうな…と思っていると、遠くを真っ白なワンピースを着たロングヘアの女の人がふらふらと歩いているのが見えた。幽霊がいたら、あんな感じじゃないだろうか。じっとその女の人を見ていると、向こうもこちらを見て、目が合った、ような気がした。長い髪が顔に垂れていて、目は見えなかった。だが、ちらりと見えた顔は、死人のような青白いものだった。幽霊だ。本物の幽霊だ。

一瞬、足がすくむ。しかし、幽霊を捕まえなければ。その思いが足を動かす。幽霊の方へ。遠くから見たときはふらふらと歩いていたが、こちらが走って近づくのを見るやいなや、驚くほどの速さで走って逃げていく。本当に幽霊なのか。悩んでいる時間はない。本物かどうかは捕まえた後に確かめればいいのだ。ひたすら追いかける。幽霊は附属高校の方へと逃げていく。しかし、距離は縮まっている。あと少し。附属高校の脇にある大きな池の前で追い付く。走ってきた勢いを使って、腰のあたりへとタックルする。

「ぐえ」

転んだ幽霊が上げた悲鳴は、思いがけず低く、聞き覚えのある声だった。そう、幽霊の正体は常磐くんだったのだ。

転んであちこちぶつけたらしく、痛そうにしている常磐くんに手を貸して立ち上がらせながら、なぜこんなことをしたのか尋ねると

「新しい都市伝説を流布したかったんだよね。」

という。曰く、食中毒で亡くなった女の子云々は全てデタラメで、常磐くんからそのデタラメを聞かされた私が幽霊を探していると色んな人に尋ねながら歩き回り、それをきいた人がまた別の人に幽霊の話をすることで、どんどん噂が広がって、最後にはまことしやかに「N大祭を歩く幽霊」の伝説が語られるようになるのではないか、という彼なりの仮説の実証実験だったというのだ。

「本当はチラッと姿を見せて、幽霊は本当にいるって思い込ませるつもりだったけど、こんなに足が速いとは思わなかった。」

というのは彼の弁であるが、私自身、こんなに速く走れるとは思っていなかった。人には思いがけない才能があるものだ。これを機に陸上部に入るのもいいだろうか。そんなことを考えながら、常磐くんに目をやると、鯉みたいに口をぱくぱくさせながら、私の後ろの方を指差している。

「ゆ、ゆ、ゆ、幽霊がいる!」

今しがた幽霊の話はデタラメだと言ったばかりなのに、何をバカげたことを、と思いながら振り返る。

そこには白いワンピースに黒いロングヘア、青白い顔をした女の子が立っていた。私も常磐くんと同じように口をぱくぱくさせる。女の子はこちらを見てニヤリと笑うと、そのまますぅっと消えてしまった。今度こそ、正真正銘の幽霊だ。虫取少年と清掃員のゴーストバスターズには手に負えない、本物の幽霊である。完全に戦意を喪失した我々は、そのまま口をぱくぱくさせながら、下宿に帰った。その夜、怖くてトイレに行けなくて、十何年かぶりにおねしょをしたのは、ここだけの秘密である。

The Only Meat Thing to Do


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カレーに入れるのは牛肉か、豚肉か。この問題については議論が尽きないが、概ね関ヶ原を境に西が牛肉勢力圏、東が豚肉勢力圏とすることができるそうだ。仮に牛肉か豚肉かどちらかしか使ってはいけないというルールを作った日には、「まっぺんやったろみゃあか関ヶ原」と息巻く人々があふれることになるだろう。さらに言えば、鶏肉派という第三極もおり、戦いはより混迷を深めることになるだろう。
このとても深い根をもつ問題をどう解決すべきか。そんな悩みを抱えてくぐった扉の先に待っていたのは、ビーフカレーだった。
暴力的なまでにスパイスが効いたチキンカレーを出す店のビーフカレーとはいかなるものか。期待しながら、スプーンを口に運ぶ。待っていたのは、肩透かしだった。チキンカレーほどの暴力性はなかったのだ。どちらかと言えば家のカレーに近い。ただし、家のカレーを2段階くらいアップデートした完成度で、安心感と刺激が絶妙なバランスで同居している。このカレーならば、スパイスが苦手な人でも食べられそうだ。そしてこのカレーをきっかけにスパイスの刺激という底無し沼に引きずり込むことさえできるだろう。
しかし、完璧に作り上げられたバランスは時に退屈をもたらす。それを打ち壊すのが、トッピングのミニキーマだ。ビリビリとした辛さがビーフカレーを一気に刺激的にする。その刺激が週の始まりでぼんやりした頭を覚醒させる。
すっかり空になった皿を前にして、覚醒した頭が、扉をくぐる前に抱えていた問題に答えを導き出す。牛肉だろうが、豚肉だろうが、鶏肉だろうが、そんなものは些末な問題である。カレーがおいしければそれでいいのだ。
おいしいカレーを作ること。それが関ヶ原の合戦を引き起こしかねない深い深い問題を解決するたったひとつの冴えたやりかたである。