苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

カセットテープ・ライフ side B

彼女と同棲を始めたのは、1年くらい前のことだったろうか。

彼女の名前は「荻野秋子」というのだけど、初対面の人の4割くらいには「萩野」だと勘違いされるそうだ。俺も最初は「萩野」だと思っていて、そのことを付き合い始めてから言ったら、グーで殴られた。自分だって俺の苗字を勘違いしていたくせに。

お互いの家を行き来するのが面倒だとか、どうせ家賃払うなら、2人一緒に住んだほうがお得だからとか、理由をつけようとすれば、どうとでもつくのだけれど、結局のところ、「まぁなんとなく」で同棲を始めたというのが本当のところ。

ただ、一緒に暮らしてはいるものの、秋子さんは朝遅くて、帰りも遅い仕事をしていて、逆に俺は朝早くて、帰りも早い仕事をしているから、顔を見るのは寝顔だけ、みたいな毎日で、ちゃんと顔を合わせて話をするのは、土日くらいだ。その土日も休日出勤だなんだで、すれ違ってしまうこともよくある。顔を合わせはしないけれど、「掃除、洗濯」は彼女がやって、「炊事」は俺がやるみたいな役割分担はうまいことできていて、一緒に暮らすメリットは感じる毎日である。

ある日曜日、一緒に食卓を囲んでいて気付いたことがある。秋子さんは、全てのメニューから、ニンジンだけをきれいに取り出して、皿の端に寄せていた。気付いて、それとなく指摘してみたら、「外で食べるときはちゃんと食べてるからいいじゃん」と言われてしまった。そう言われると、何としても家でも食べさせてやろうと思ってしまうのは、変なところで負けず嫌いだからだろうか。

すりおろして混ぜ込むというのは、王道だけど、それでは勝ったとは言えない。気付くくらいの大きさで、何とか食べさせられないだろうか。あれこれ考えた結果、秋子さんの大好物のハンバーグに混ぜることにした。これなら気付かれないかも。

そして、決行の日。土曜とか日曜とかではなくて、あえて平日を狙ってみることにした。食べたかどうか確認するには、秋子さんが帰ってくるまで待っていなくてはならない。いつも何時くらいに帰ってきているのだろう。帰ってくる前に寝てしまうからわからない。

眠気と闘いながら、ぼんやりテレビを眺めていると、秋子さんが帰ってきた。

「ただいま。こんな時間まで起きてるなんて、珍しいね。」

すごく怪しまれている気がする。いや、誰だって怪しむか。

「たまには起きてる秋子さんと会いたくて。」

思わず歯が浮くようなセリフが口をついた。自分でも笑ってしまう。

「ふーん、そう。おっ、今日はハンバーグなんだ!」

一応疑いは晴れた、のかな。

彼女はうきうきしながら、ハンバーグを食べる。その様子をじーっと見つめる俺。

「ひょっとして、ソースとかついてる?」

口の周りをぬぐいながら、彼女は言う。また怪しまれてるかも。

「普段あんまり気にしてなかったけど、すごくおいしそうに食べてるなあと思って。」

またしても、歯の浮くようなセリフ。我ながらちょっと恥ずかしい。

「そりゃあ、おいしいもの食べてる時は、そういう顔になるよね。」

意趣返し、なのだろうか。でもまだ気付かれてはいないみたいだ。

「ごちそうさま!おいしかったよ!」

結局、最後まで気付かなかった。ネタばらしをするべきなのだろうか。なんだかすごく幸せそうだし、本当のことを言ったらまたグーで殴られそうなので、言わないでおこう。小さな勝利を噛み締めて、多分、今すごくにやついた顔してるんだろうなぁと思いながら、秋子さんの顔を見たら彼女もにやついていて、なんだかとても気持ち悪い二人になってしまったのだけど、こんな日も悪くない。