苦悩の大きさだけは文豪並み

なけなしの文才の無駄遣い。

My most favorite Tonkatsu!


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とんかつが届く前から、その戦いは始まっている。

与えられたソースは5種類。シンプルな塩、王道のとんかつソース、こだわりの詰まったオリジナルソース、さっぱり系の梅酢ソース、名古屋人の魂味噌だれ。対してソース皿は3種類分。この中からどれを選ぶかによって勝敗は8割決まると言っても過言ではない。
これまでの経験から、塩と梅酢ソースははずせない。ならば、あと1種類はどうするか。今日の体調は?気分は?頭の中を様々な考えがぐるぐると巡る。
こんな時は、先に配膳されたキャベツで、ソースの具合を確かめるのがいい。
「これで決まりだ。」
私の舌は味噌だれを選ぶ。
そしていよいよ待ちに待ったとんかつが運ばれてくる。
はじめの一口は、脂身が多めの端の部分を塩で、と決めていた。
塩を少しつけたとんかつを口へ入れると、肉から脂と旨味がとめどなく溢れ出る。完璧な最初の一手であった。
次はどうするべきか。とんかつが有限である以上、慎重に考えるべ場面であるだろう。しかし、生憎と理性は最初の一口ですでに失われていた。そこからは、ただただ胃袋が求めるままに、とんかつを口へと運ぶのみである。
気がつくと、目の前の皿は空になっていた。しかし、私の胃袋、そして心は充分過ぎるほどに満たされていた。
ここで賢明な読者諸氏は疑問を持つであろう。とんかつとセットになっているご飯はどこへいったのか、と。答えは単純にして明快である。どこにもいっていないのだ。
一般に「ご飯に合う」は食品に対する最上位に近い褒め言葉であろう。しかし、このとんかつを食べるとき、間にご飯をはさむ必要があるだろうか。そう問われれば私は断固として答えよう。それはとんかつに対する冒涜である、と。それほどまでに、このとんかつは完成されている。
ならば残されたご飯はどうすればよいか。とんかつの余韻だけをもって、白飯に向かわなければならないのか。絶望する必要はない。我々にはまだ山盛りの漬物という救いが残されている。